「青春時代の真ん中は、胸にトゲ刺すことばかり」という歌詞を思い出すけれど、まったく、その通りだ。
青春時代というのは、人生の花でもあり、同時に辛い毎日だ。 心は常に不安定だし、自分で自分の体をコントロールすることすら出来ない。「今日こそ」と思って家を出ても、夕方、家に帰る時にはいつもほろ苦い。
学生が猛烈な勢いで私に言う。 私がそれに答える。
「うん、良いよ。それで。でも、君、それなら一人で野原で生活した方が良いんじゃないか?」
学生の気持ちはわかる。とにかくうまく行かないので私にぶつかってくるのだ。まだ、独立した人格にはなっていないので、何かに自分をぶつけないと、自分の居場所がない。ぶつける相手に先生を選んでいる。
私もかつてその道を歩いてきたから、気持ちはよくわかるが仕方がない。でも本当に言ってあげたいこと、それはかわいそうで口には出せない。 それはこんなことだ。
「君は我慢が出来ないんだよ。相手も我慢ができないんだ。我慢ができない同士で自分のことだけを主張しているのだから、うまくいかないのは当然なんだ。
本当のことを言えば、君が子供のころ、もっと悔しい思いをして我慢していれば、こんなことは何でもないんだよ。君が君のことだけを思っているように、相手は相手だけのことを思っているのだから」
でも、私は言えない。 それは彼の責任ではないし、もう過ぎ去った過去なのだ。
ルソーの「エミール」に次のようなことが書いてある。
「子供を甘えさせてはいけない。最初は、そのケーキが欲しいと言い、次にはおもちゃを買ってくれとせがむ。そんな子供のわがままをそのまま聞いていたら、“あの星をとって!”と泣き叫ぶようになるだろう。」
つまり「あの星を取って!」と泣き叫ぶ子供は「正しい」とルソーは言っている。大人の方から見ると、地球から星までの距離、星の大きさなどを知っているから、「なに、無茶なことを言っているのだ!」と腹を立てるが、子供はそれは知らない。
子供は、「今まで、いつもやってくれたじゃないか」ということだけなのだ。ケーキ、おもちゃ、そして星は、その子供にとってはまったく同じ種類のもので、「自分が欲しいもの。欲しい物は親がくれる」という単純な構図を主張している。
「子供を甘やかせるな」というルソーの真意は、「子供の立場になって教育することが大切」ということだ。人はいつも自分を基準にものを考えるが、教育は子供の立場で考えなければならないとルソーは初めて指摘した。
その学生は幸福になれないかも知れない。それは幼児の頃、きっと大事に育てられたのだろう。この世で、不幸になる原因は多いが、そのなかに「わがままと正義感」がある。
幸福とは「他人が自分にくれるもの」だ。だから親なら別だが、他人は「わがまま」には幸福をくれない。
幸福とは「他人が自分にくれるものだ」。だから自分の正義を他人に強いたら、他人は逃げていく。
だから、「わがままと正義感」は幸福には強敵なのだ。わたしはそれを抽象的に学生に言う。
「他人は君の為には生きていないよ。そして彼には彼の正義があるんだ・・・」
(平成20年10月1日 執筆)