8月号のマリ・クレールの裏表紙にドルガバの広告が載っている。
マリ・クレールというのは高級ファッション雑誌でMarie Claireと書く。ドルガバというのはDolce & Gabbana というファッション好きな人は知っているブランドだ。
マリ・クレールに載っているドルガバの宣伝の写真はすばらしい。
エーゲ海にゴージャスなヨットを浮かべ、そこにラグジャリアスな女性が明るい陽光を受けている。、この世になにが贅沢なのかを教えてくれる。
その写真を見ながらファッションの人の話を聞いているうちに、心の中で、昔年の疑問が氷解していくのを感じた。
・・・ヨーロッパ人は、なぜ「人生をエンジョイし、施しものをし、そしてクレバーなのだろうか?」という疑問だ。私から見ると矛盾だらけに感じる。
イギリス人は紅茶を飲む。どうしても飲む。たとえ植民地の人を射殺してものむ。人生をエンジョイするために植民地は必要なのだ。
アジア人の私にとっては同胞の血のように見える紅茶も彼らにとっては、人生をエンジョイするためにどうしても必要なものなのだ。
エンジョイするには他人を犠牲にし、ある時は命をいただく。どうしてもエンジョイすることとよい子とは相容れない。
おそらく、人間の心はそれだけでは済まないことも彼らは知っている。人間の心には、他人を蹴飛ばしても人生をエンジョイしたいと思う部分と、良いことをしなければ納まらない部分がある。それが疼く。
そこで、ヨーロッパ貴族はチャリティーをする。それは心の贖罪であって、次の楽しみを期待する為の準備なのだ。
彼らは完全にわかっている。クレバーな頭脳を縦割りにして行動しているに違いない。一つは他人を圧迫し、植民地にし、その分だけ自分が人生をエンジョイする。人間は悲しい。グルメには子羊の肉が必要だから。
エーゲ海に横たわる女性。人生とはそれを求める旅だと彼らは考えているのだろう。
(平成20年9月20日 執筆)