日本の社会が、元気で勢いのある時代だった。建設されたばかりの石油化学コンビナートの工場の中で仕事をしていた私は、当時の上司からたたき込まれたことがあった。

「工場で火事がおきたら、まず第一に、消防署に連絡しなさい。決して、守衛所や緊急連絡先を先にしてはいけない。」

 まだ社会経験も浅く、左も右もわからなかった自分は、いぶかしく思った。その工場は従業員が2000人もいる大工場で、守衛さんはもちろん、消防車を3台ももっていた。まず、社内に連絡するものだと若い私は錯覚していたのだ。

 第一、工場の消防団は、石油工場火災の訓練を重ね、四六時中待機していたし、町の消防署は遠かったが、工場内の消防は歩いてほんの5分のところに待機していたからでもある。

 上司は納得していない私の顔を見て説明してくれたものだ。

「私たちは会社の従業員である前に一市民だ。市民の義務は火災が起こったら速やかに公共消防に連絡して、被害の拡大を防がなければならない。私たちの組織を守るのは二の次だ。」

 その時、私は公共消防の意味、組織とその中の自分、そして社会の一員としての個人の意味を良く理解することができた。

 上司は次のように加えた。

「自分ですぐ消火できる場合は別だが、自分で直ちに消火できない場合は、火災が拡大するかどうかも考えてはいけない。直ちに「判断せずに」公共消防に電話しなさい。自分の判断が間違っていたら、社会に迷惑をかけるから」

 私たちは組織の人間であるとともに、社会の一員であり、どちらを優先するかというと必ず社会を優先しなければならない。組織を守ろうなどと考えてはいけないと徹底的に教育された。

 すばらしい会社だった。

 その後、社会経験を積むとともに、社会は必ずしもそうなっているわけではなく、多くの場合、社会の一員より組織のメンバーであることを優先していることも多いのを知った。

 でも、その後、ベトナム戦争の裁判の結果を読んだ記憶が鮮明に残っている。今では記憶が少し不確かになっていて、本当かな?と思うこともあるが、私には強い印象が残った事件だった。

 ベトナムに派遣されたあるアメリカ軍兵士が、「上官の命令」で無抵抗のベトナムの人を射殺した。

そして裁判で有罪になったが、その理由は「たとえ上官の命令でそれに背くと軍法会議にかけられる怖れがあっても、無抵抗の市民を理由無く殺害することは人間として許されない。」というものだったように思う。

 消防署のことで組織と社会の関係が厳密だった私は、「やはりそうか。そうだろうな。軍隊でもそうなのだな」と納得したものだった。

 「撃て!」と命令されたその兵士は、そこで撃たなければ命令違反であるいは銃殺になるかも知れない。でも、兵士が引き金を引けば、必ず目の前の市民は死ぬ。

その兵士の命と、市民の命の違いは、「自分と他人」だけである。それなら引き金を引くべきではない。

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 先日、メタミドホスの入ったお米を食用に転売した事件で、農林水産省の次官が必死になって省益を守っている会見を見て、これはこの次官の個人的なことなのか、それとも日本社会の老化とか堕落を著しているのかと考え込んだ。

 守屋前防衛省次官、厚生労働省事件、それに次ぐあまりにも情けない会見だった。農林水産省は国民の命ではなく、コメを扱う業者の利害を優先していた。

 毒物入りのお米を食用に使うということは、もしそれで人が死ねば殺人罪であり、死ななくても殺人未遂罪であることは間違いない。

法律的には未必の故意などというむつかしい概念もあるが、日常生活の感覚では、「毒入りのコメ」を売るのだから、水道に青酸カリを入れるのと同じである。もちろん、殺人か殺人未遂だ。

次官はそれがわからないのではない。火事が起これば自分で消そうと思い、次に自衛消防団に連絡し、新聞記者が工場に来たら「なにも起こっていませんよ」とウソをつく広報担当者のようなものだ。

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 若い私に大切なことを教えてくれたあの上司も、定年になって仕事を引かれている。でも、あの頃の日本が明るく、なぜ、経済的にも成長したのかというと、多くの人に日本人の誠があり、そしてそれを守る勇気があったからと思う。

 街を歩くと歌謡曲が流れ、お金より心の時代だった。

(平成20916日 執筆)