旭川市内から車で約30分ほど行くと、江丹別(えたんべつ)というところがある。日本語には珍しいこのような地名は先住民族のアイヌの言葉そのまま、あるいはそれが少し変化した地名で、北海道では珍しいことではない。

 地形的にも文化的にも旭川とほとんど同じと言っても良い江丹別だが、市街地も、熱の発生源も少ないので、冬は旭川より少し気温が低い。

 一昨年は最近になく寒い冬で、旭川でも零下30℃を越える日が何回かあったが、江丹別では零下34.6℃を記録した。寒かったり暑かったりするのは困るけれど、史上最高、史上最低、この年の最高、最低などとなると、人間は何となく心がうきうきするものである。

 昨年の猛暑の中、名古屋の近くの多治見では日本最高気温40.9℃を記録した。熱中症はどうだったかわからないが、多治見の市長さんは大喜び、市中では40.9メートルの記念碑を建てようではないかという声もあると聞く。

 江丹別で零下34.6℃を記録した翌日。旭川のホテルに宿泊していたとある老夫婦がタクシーに乗った。そして、ご婦人が「運転手さん、エタンベツというところに行ってください。それから空港へ」と言う。

 運転手は「はい」と言ってクルマを出発させたものの、少し考え込んでしまった。

お客さんを乗せたのは旭川市内のホテルだし、江丹別と旭川空港は距離こそそれほど離れてはいないが、ちょうど反対方向になるからだ。

 老夫婦はあまりおシャベリもせずに、静かに後部座席に座っている。車は江丹別に近づき、運転手は「お客さん、そろそろ江丹別ですが、どちらに?」と聞く。。

「ええ、特にどこということは無いの・・・」とご婦人。相変わらず、老人の方はジッと黙ったまま座っている。

「今日、朝、テレビを見ていたらね、エタンベツというところで零下30何度って、記録的な低い温度だったんだって。だから、行ってみたくなっただけ」とご婦人。「別に、知っているところもないし、目的もないんだけど、どっか行って」と言う。

 これにはいささか運転手さんも驚いた。「ああ、そうですか」と言ったものの、さて、江丹別の町に行って、Uターンしそのまま空港に引っ返すのもと思って、少し高台から町を見てもらったり、街角で停車したりして、せめて外の空気を吸ってもらった。

 

 クルマを止めるとご婦人のほうはややはしゃいだ様子で車外にでて、周囲を物珍しげに見ていたが、老人の方はいっこうに座席を立とうとはしない。ジッとクルマの中で押し黙ったまま座っているだけである。

 ほどなくして、「江丹別低温観光の旅」も終わり、時刻も昼にもなったので「どうしますか、近くにおそばの美味しい店がありますから」と誘うと、早速、そこで昼を食べることになった。

「うまかったな」、おそばを食べて再びクルマに乗るとすぐ、老人は口を開いた。

「あら、あんた。機嫌を直したのね!」と老婦人。

 今朝方、老人はいつものようにテレビを見ていた妻が変な気を起こして突然、江丹別に行こうと言い出した時には苦情の一つも言った。確かに、前の晩に最低気温を出したかも知れないけれど、今、ホテルを出たら、江丹別には昼頃だ。もう、気温は上がっている。

 それに、今日は東京に帰らなければならないし、江丹別は空港とは反対側だ。地図が頭に入っているだけに、老人は気が向かなかった。

実は、不機嫌の理由は、またいつもの妻の気まぐれが始まったかとうんざりしてタクシーに乗ったからだった。でも、長年連れ添った夫婦だから、若い頃ならケンカになっていたそんなことも、何となくやり過ごす術もある。

ただ、ジッと押し黙って座っていたのはそんな理由だったし、運転手の方は「あのおそば、それほど美味しいとは思わないけど、まあ、いいや」と思ってハンドルを切った。

 旭川の冬は寒い。今でこそ、豊富な石油の暖房で寒さをこらえることも少なくなったが、かつては夜中にふと起きるとすっかり冷え込んだ家の中で、自分の吐く息ですっかり掛け布団の襟元が凍り付いていたものだ。

 一昨年の旭川は寒かったけれど、その次の年、つまり昨年の冬はそれほど寒くもなく、そして雪も少なかった。

 あれは5月頃だったろう。旭川の郊外で中規模の農家を営んでいる老人を市内まで運んだ。まだ、朝も速かったので、クルマのドアーを開けると5月の冷たい空気がさーっと車内に入ってきた。

「お客さん、今年は雪が少なくて良かったですね」

「なに、雪が少なくって良かったって!?なに言ってるんだ。運転手さん。そりゃ、素人考えというものだ」

 寒冷な地方では冬は畑がすっかり凍り付いてしまう。永久凍土ではないが、冬期凍土である。その凍土が初夏に融けてくれないと作物を植えることができない。だから寒冷地の農業にとって、畑がいつ融けるかはとても重要なことだ。

 大雪が降るとなかなか雪が融けないので、作物を植えるタイミングが遅くなる・・・運転手はそう思ったのだが、お客さんから「素人考え」と一蹴されてしまった。

 雪があれば畑は保温される。だから春になって雪が溶ければその下の畑はそれほど硬く凍ってはいないので、じきに作物を植えることができる。でも、雪がないと畑はコチンコチンに凍り付き、ちょうど良い時期に作物を植え付けることすらできないのだ。

 「雪の保温効果」・・・南の人には全くわからないこの現象を、北海道に長く住んでいたアイヌは生活の中に取り込んでいた。

 冬、寒い時期に火を炊かないと凍死してしまう。といって、冬に薪をジャンジャン焚くと周囲の雪が溶けて、「雪の保温効果」を失い、これも凍死する。 暖めても凍死、暖めなくても凍死という厳しい環境をアイヌは知恵で乗り切っていた。

 その知恵とは、「夏のうちからずっと火を炊き続け、冬も雪が溶けるような大きな火は炊かない。そして夏の火の熱が地中深くしみこみ、それがジワッと家屋を暖めてくれるのを待つのである。

 環境とはそういうものだし、環境に優しい生活とはそういうものだ。自然と一体となり、その中で人間の知恵を少しだけ働かせる。

(平成20911日 執筆)