ゴミが社会問題になっていた頃のことである。ある役所で交わされた会話・・・

「「分別すれば資源」、これが良いんじゃないか?」

「すばらしいですね。課長。そのキャッチフレーズと、「プラスチックを燃やしたら毒がでる」と組み合わせば、ゴミ問題は無くなりますね」

「でも、チョット、気が引けないか。「プラスチックを燃やしたら毒が出る」だろ、「燃やしたら炉が傷む」だろ、そして「分別すれば資源」か・・・全部、ウソだからやり過ぎじゃないか」

「そんなことありませんよ。どうせ庶民なんかバカだからゴミを減らせといっても減らしませんよ。だから、うんと苦しまさせないとダメですから」

 かくして、「ゴミを分別して収集する・・・分別したらゴミという分類から資源にする・・・それから焼却するとリサイクルになる」という奇妙なシステムが生まれた。

今まで家庭から出たゴミは「自治体がゴミをとして集める」ということだったので、ゴミを処理できなくなったが、それからというもの家庭で分別すれば「ゴミ」から「資源」になるから、ゴミではなくなる。分別収集した後、ゴミとまったく同じことをしても、ゴミは減るのである。

「でも、ゴミを分別するといったら、庶民は大変なんじゃないですか?それも主婦は忙しいのに、毎日、分別しなければなりませんよ。」

「そんなこと、どうでも良いじゃないか。俺たちの仕事はとにかく見かけでも良いからゴミを減らすことだ。そうしないとうるさくてしょうがない。いちいち主婦が苦労するなんて考えていられないよ」

「でも、3つもウソをついたらバレるかもしれないですよ」

「大丈夫だ。低い温度で燃やして不完全燃焼させたデータと、もう一つ、逆に高い温度で燃やして炉が傷んだデータをとっておいてくれ。なにしろ、不適当な条件で燃やしておけば、悪いデータは採れるから」

 名古屋市が市民いじめでゴミの分別を始めてすぐ(藤前干潟の問題はゴミを焼却すればそれで終わりだったが)、リサイクルを決めた国の委員の一人が次のように四大新聞紙上でコメントしている。

「名古屋のケースは、容器包装リサイクル法が大都市で機能するかどうかの実験だ。市民も行政も、うんと混乱すればよい。混乱して困らなければ、人間はその気にならない(2000年10月1日朝日新聞)」

 人が鬼になるとき、人が人の心を失うとき、人がサタンに襲われるとき・・・ゴミ問題もそんな時があった。自治体はゴミ問題を処理できず、住民に攻撃を受けた恨みで、「狭い台所で主婦に苦労させる」ためみのみ「分別」を始めた。何のやくにも立たないのに、10年経ってもまだ分別している。

 いまや自治体の職員も人の心を失っているのだろう。目の前で利用されない「リサイクルゴミ」を毎日見ているのだから。今までリサイクルを支持してきた新聞も、主婦のムダな苦労より、自分たちのメンツを大切にしようと、人の心を捨てている。

 リサイクルの税金を、一年に5000万円ずつ受け取っている人は一万人。すでに合計五億円に達する。もしこのまま続けることができたら・・・もし分別さえ続けてくれたら・・・さらに10年でまた5億円をせしめることができる。

 一度、走り出した利権。それは人の心を失っていればいるほど、攻撃的になり、社会のよどみとして沈着するのだ。額に汗して働こう!それが人間の道だ。

(平成2096日 執筆)