2008824日の田原総一朗さんの番組で、沖縄返還に関して日本政府とアメリカ政府の間で密約があり、それを暴いた毎日新聞の西山記者が罰せられ、ウソをついた日本政府は裁判を通じて保護された事実が紹介されていた。

 一般に「西山事件」と言われるものの詳細や、日本における言論の意味、当時の最高裁判所の田中長官とアメリカ・マッカーサー大使との密談・・・とこの事件は歴史の彼方に消してしまうのではなく、何回も繰り返してその事実を議論しなければならないほど、日本社会としては貴重な体験だ。

 でも、それにはジックリと取り組むとする。余りに内容が深い。加えて、

1)  西山事件とはいったい、何だったのか?

2)  なぜ、日本政府は「密約の存在」が事実であることがわかっているのに、未だに否定しているのか、

3)  福田首相まで公然と国民にウソをついているのに解任されないのか、

4)  裁判所は過去の判決の誤りを認めないのか、

5)  なぜNHKは報道しないのか、

6)  なぜ経済学者は西山事件を研究しないのか、

など広い影響があるからである。

 しかし、西山事件や最近、起きたイラクへの自衛隊の派遣に反対するビラ配りに有罪判決があったことなどを報じたこの番組こそ、「なぜ、マスメディアが必要か」を端的に示していた。

 権力は腐敗する。

その腐敗を暴くには社会的に問題になるような取材をしないと事実を把握することはできない。それは当たり前のことで、政府自身がウソをついているのだから、ウソをついている本人に聞きに行ってもダメだ。つまり、政府の発表が意図的に事実と違うときに、それを明らかにするには特別の努力がいる。

 そのために、近代国家は学者には学問の自由を、マスメディアには取材の自由を、そして一般的には表現の自由や言論の自由を与えた。

 北京オリンピックを契機として「中国政府は事実をそのまま報道しているか」という疑問が多く示された。奥地の暴動という深刻なものから、開会式で口だけを開けて唄の振り替えをした女の子のことまで、いろいろだった。

 中国政府には中国政府の言い分があるだろう。あれほどの大きな国だから、統治をするのは大変かも知れない。その中でも「事実を探ろう」という動きがなければ健全な社会はできないという確信は多くの人が持っている。

 日本ではNHKはいらない。NHKは報道機関であるし、取材の自由も表現の自由も持っているが、それを使ったことを私はほとんど知らない。政府の発表通りを報道する。NHKという権力組織があるのはわかるが、NHKにも独立性をもった記者はいるのだ。

 環境関係では、TBSが紙のリサイクルを暴露し、日本テレビが環境省にある「リサイクル商品」が実は偽装であったことを報道し、フジテレビは数回にわたってリサイクルやダイオキシンの問題を取り上げた。そしてテレビ朝日は、京都議定書に関する日本政府と経団連の密約を報じた。

 民放が報道した、これらの事実をすべてNHKが知らなかったということは考えられない。もし知っていたら、視聴料をとっているNHKとしては国民への裏切りである。もちろん、環境問題以外でも、相撲の不祥事や防衛省次官のゴルフ接待をNHKは報道しなかったが、それらを、まったく知らなかったということになると、かなり職務怠慢のそしりを免れないだろう。

 人間とは悲しいものである。ウソをつかないといけないという確信がある。もちろん、そんなことは無いけれど、誠実になるには勇気がいるし、国の高い立場に立てば立つほど勇気がいる。

 でもその人間の弱さをシステムとしてカバーするのが、学者やマスメディア、そして社会の運動家だ。そのシステムを破壊するNHKはない方がよい。そろそろ日本も「民放だけのマスメディア」の時期になっているのではないか?

(平成20824 執筆)