毎年、お盆の季節がやってくる。かつて、お盆には親族一同が集まり、小さい火を炊いて、ご先祖様をお迎えした。この狭い日本でも、お盆の風習は地方によってずいぶん、違うようだ。

 江戸時代ともなると、少し古すぎて実感がないが、明治なら祖父が明治生まれという人が大半だから、まだまだ最近のことである。この時期には遠く明治のご先祖さまのことに思いをはせる。

 あの頃、世界はヨーロッパの支配の下で呻吟していた。

シェークスピアを生み、ベートーベンを輩出したヨーロッパが、なぜあれほどの暴虐を働いたのかは歴史家や文学者が研究してくれると思うが、ともかく「白人は優等民族、有色人種は劣等民族」の先入観のもと、暴力(武力)でほとんど世界中の国を植民地にしたのである。

 このヨーロッパの武力に「世界で唯一」、武力で対抗して独立を確保したのが、この日本である。臥薪嘗胆、国民一丸となって節約に勤め、軍艦を買い、そして日露戦争に勝った。

 日本人は明治のご先祖様に感謝しなければならない。もし、あのとき、祖父祖母が少しの贅沢でもしたり、二0三高地に突撃してくれなければ、今の日本の繁栄はない。G8などと言っている場合ではなかった。

 その後も、それは日中戦争であったり、太平洋戦争でも同じだ。ガダルカナルで絶望的な突撃をした兵士、海軍軍人として戦った将校・・・どのご先祖も私は尊敬する。

 靖国の問題が起きた時、いろいろなことがあるけれど、英霊に「国のために戦って死んでくれ。私たちは靖国で待っている」と言った限りは、どんなことがあっても靖国は大切にしたい。

 もちろん、中国、朝鮮、台湾、そして東南アジアの諸国には申し訳ない。間違ったこともあった。でも、英霊は私たち日本人の魂だ。その人たちを粗末にすることはできない。靖国と近隣諸国とは別の問題だ。

 ところで、明治の時にあれほど偉かった日本人が、なぜ、太平洋戦争にまで行ってしまったのだろうか?このことについては数度、このホームページでも書いたが、ここでは「一世二世問題」として取り上げてみよう。

 明治の元勲は「一世」だ。伊藤博文にしても、山県有朋にして、夭折した吉田松陰の教え子で下級武士の出身である。それが松蔭に魂を吹き込まれて明治の経営をした。

 日本が独立し、やっと一息つくと、「二世」が現れる。一世に対して、二世が能力や人柄で劣るかは定かではない。でも、一世には「日本の独立」という強い目的があったが、二世には無かった。

 「戦争の終わった将校さん」という文章を昔、書いたことがあるが、目標があるときより、その目標を達成した後の方が難しい。

 国の独立に命をかけて奮闘してきた将校。もし、その戦争で英霊になっていればその人生を全うすることができるが、独立してもなお将校としてその人生を送るのは難しい。

 すでに戦争は終わっていて、独立も果たしている。でも「俺の残りの人生をどうするのだ?」という課題は見つからない。二世ともなるとさらに偉大な親父の陰で、自らの独自性を発揮するのは至難の業だ。

 二世の心は乱れる。

 すでに親父の時の目標は無くなっている。といって、新しい目標を見いだすのは難しい。そこで、「目標をでっちあげる」ということになる。二世は甘い口元をしているが、言い訳や話はうまい。

 明治維新から50年も経つと、軍人の目的は「国家の独立」から「陸軍の繁栄」、「軍閥の保護」に変わっていく。そして、やがて目標無き際限ない拡大へと進み、ついにはるか南方、ガダルカナルで玉砕することになる。

 戦後・・・

 310万人を失った戦争が終わり、再び明確な目標ができる。「日本の復興」である。そこに本田宗一郎、松下幸之助が現れる。技術に情熱を燃やし、お客様は神様ですという新しい概念を打ち立てる。

 でも、高度成長が終わった今から30年前、戦後の一世は姿を消し、二世が現れる。それとともに「日本の復興」という目標は消えて、代わりに「省益(省庁の個別の利益)」、「選挙に勝つこと」、「視聴率を上げること」、「学会の名誉を保つこと」など矮小化した目標を二世が始め出す。

 かくして、バブルが崩壊し、幻想としての環境問題が創造される。メタボリックという言葉を作っては「健康で長生き」と言い、医療費がかさむからといって「後期高齢者」という非人間的言葉を口にする。

 支離滅裂なことは当然である。もともと二世は日本の目標を考えることもできないからだ。一世の目標は外から与えられたが、二世の目標は自らが考えなければならない。それには哲学がいるし、人格高潔でなければならない。

 やがて、二世も鬼海に入る。そしてやがてお盆がくる。その時に、私たちの子孫は懐かしく振り返り、そして私たちの世代だけの繁栄を考えた昔を尊敬してくれるだろうか?

 目標は到達してはいけない。目標とは日々の人生の為の仮想的なものにしか過ぎない。目標は達成したら捨てなければならないものであり、忘れなければならないことである。

(平成20813日 執筆)