「包装材料」、そのうちでも特に「プラスチックの包装材料」について少し深く考えてみよう。

 「包装」という行為は、「包装される側」からと「包装する側」から見ることができる。

 まず「包装される側」から見ると、できるだけ丁寧に包装して中の商品が壊れないようにして欲しいものである。たとえば、お花をプレゼントしようとはり込んで買っても、いざプレゼントする段になったら、茎が折れていたというのではどうにもならない。

 お花屋さんにはいくら時間をかけても、少し値段がはっても「良い材料で丁寧に包装」して欲しいと願う。

 だから、「包装」というのは実に大事な行為であり、「ものを大切にする」には第一に「包装」がしっかりいていることであるとも言える。

 逆に、「包装する側」から見てみよう。

 プラスチックは年間、1400万トン消費される。その中で、高級品と言えば、電子部品、工業部品、家電製品の材料、そして自動車向けプラスチックなどだろう。それらは厳しい性能の要求に応じて作られる。

 もちろん、包装材料にも厳しい性能を求められるものもあるが、「包装」というのはあくまで中の製品を守るものであり、「中の製品」自身に使う材料のほうが、普通は高級である。

 さて、石油を精製して高分子材料の原料を作る時に、できるだけ高く売れる物を作りたいと思うのは企業に勤める人にとってごく普通のことだ。だから、電子部品、家電製品、自動車などの材料に使われる原料を作ろうとする。

 おおよその数字を言うと、1400万トンのうち、上位1000万トンが「中身の製品を作るためのプラスチック」である。でも、石油は大昔の生物の死骸からできているので、成分はそれほど自由にはならない。

 もちろん触媒の研究などが進み、40年ほど前に比較すれば自由に制御できるようになったが、それでも1400万トンのうち、1000万トンも厳しい性能を求められると、どうしても「それほど性能を求めない用途」にしか使えないものもでてくる。

 あるいは、「それほど性能を求めないので、石油の成分からみて、ごくごく簡単にできるものを作る」といっても良い。

 この400万トンはほぼ包装材料に向けられる。たとえば典型的には「食品トレー」だが、トレー自身はとても優れた社会的価値を持っているが、といって、それほど厳しい性能を求められる物ではない。

 ともかく、お肉などをトレーに乗せて、その上にラップをかけ、販売して家庭の台所で料理されるまで商品を保護したらよいのだ。衛生的であれば(プラスチックの多くはほぼ毒性はない)、それほど「どのプラスチックで、どのぐらいの分子量で・・・」という厳しい要求は無い。

 包装材料でももっとも安上がりにできるものが「レジ袋」だ。なにしろタダで消費者に渡すのが原則だから、それほどお金をかけてはいけない。お金をかけないというのは石油の成分のほぼそのままを使うことになる。それがポリエチレンである。

 つまり、プラスチック1400万トンのうち、もっとも高級な物から、順次、埋めていき、1000万トンを「中の商品」の為に使い、さらに「比較的、大切な商品を長く包装する材料」として良い物を使い、最後に、レジ袋とかビールのケース、トレーなどに回される。

 もし、プラスチックをリサイクルするなら、高級品をリサイクルするのが適当である。たとえば、家電製品や自動車に使われているプラスチックをトレーやレジ袋に使えばよい。でも実際にはそれはなかなか難しい。(理由はかなり複雑である)

 もう一つ、環境問題となると社会は「勉強しなくても良い」という感覚なり、やたらと「目に見えるものだけ」と言うことになる。

普通の人の目につくのは、僅か30万トンのレジ袋とか、50万トンのペットボトルなので、そちらにだけ目がいき、量の多い1000万トンクラスのプラスチックには社会は関心を持たない。

量の少ない材料だけに熱を上げても、環境という意味では関係が無い。厳しく言えば、あまり言葉や良くないが、自己満足の世界になってしまう。

 もしかすると、「包装材料として使われているプラスチックを、どのようにすれば最も有効に使用できるか?」という問題は、専門知識が無くても考えられるようなものではない。

またレジ袋の追放に関する多くの異論を見てみると、石油化学の全体像、プラスチック工業の全体像をしっかり考えて、反論していないような気がする。だからといって、多くの人がそれぞれの考えを持つことも大切だから、そこが環境では難しい。

 本来、プラスチックは拡散と劣化という問題を抱えているので、リサイクルには向かない材料であるが、それでもよくよく考えると、ベストな使用体系があるかも知れない。

でも、現在のように社会が思いつきのように行動すると、せっかく材料学的に煮詰めようとしても、まともな学者は嫌気をさしてしまう。事実、「プラスチックのリサイクル」という研究改題に真正面から取り組む学者は少ない。

まじめに研究して、その結果を研究発表しても、すでに利権関係ができていたりすると、社会的に非難を浴びる。学問は利害とは関係がないから、すでに「儲けている」組織にとっては迷惑な結果が出ることがある。でも、環境という重要なことを前にして、私たちはもう少し冷静になることはできないだろうか?

 (平成20811日 執筆)