「節約」はなんで「良いこと」なのだろうか?それは「家庭」でも「職場」でも、「戦場」でも「良いこと」なのだろうか?
職場でも節約をする方が良いなら、人を減らして、電気を消し、工場を止めれば節約できる。それでは仕事を進まない。「節約」が美徳なのは、家庭のように人数が決まっていて、することも決まっているような空間だけではないか?
人間社会は変化していく。1000年ほど前は平安時代だった。600年ほど前は武士の時代で戦いが絶えなかった。300年前は封建時代で、侍の子供は侍、商人の子供は商人だった。そして現代・・・
なぜ、人間社会は変化するのか?それは人間が人間らしさを発揮しているからだろう。人間は留まることを知らず、平安時代には石油を使わず冷蔵庫も無かったが、今は、石油を使い、冷蔵庫を使っている。
1000年後に石油が残っている必要があり、冷蔵庫がなければいけないのだろうか?なぜ、1000年前のものは今ないのに、今のものが1000年後に無ければならないのだろうか?
1000年前のものは使いたくない、でも1000年後は今と同じものが無くなることは困るというのは、単に我々が今の生活をしているからだろう。何の根拠もない。
「石油が無くなるから、節約しなければならない」という発想は、二つの点で問題を生じる。
一つは、石油はアラブなどの外国にあって、日本にはないから日本人は石油を節約することはできない。石油は人類共通の資産ではなく、石油を埋蔵している国のものである。だから、日本が使わなければ他の国が使うだけだ。
石油はやがて無くなる。地中に埋蔵されたものはやがては尽きる。それを防ぐことはできず、石油の時代から次の時代へと変わっていく。
石油の時代がなぜ「もっとも良い時代」なのだろうか?石油があるために、大きな2度の戦争が起こり、都市が破壊され、環境が破壊された。確かに石油は人類に便利さをもたらしてくれたが、今の環境破壊は石油を使ったからだ。
石油が無くなれば人類は別の文化を築く。そして「現代」は終わる。それはきっと石油時代より良い時代になるだろう。これまでも、時代は常に「良い方」に動いてきた。それが人間の知恵というものだ。
時代が変わっていくときに、それに勝つものと負ける者がいる。勝つ者は「前の時代にものを使う者」であり、負ける者は「節約する者」である。
前の時代には前の時代の技術で生活する。石油時代には石油で動くシャベルカー、石油で動くパソコンが使われる。だから、石油時代には石油を使って活動をするから、新しい時代に適合する社会を作るためには、石油を使わなければならない。
もし石油時代に石油を節約するのは「活動を減らす」ということであり、活動を減らすということは「次の時代に備える変化ができない」ということであり、「じり貧」になると言うことである。
私たちは「節約」を叫んでいるが、それは本当に私たちの子孫に良いことなのだろうか?それとも日本がダメになってしまうことに手助けしているのではないか?
家庭を守るための節約を、社会にそのまま持って行って良いのだろうか?私たちは大きく間違っていないか?
(平成20年7月30日 執筆)