「レジ袋は石油の成分の中で、余り気味のものを使っていた」という私の記述に対して、高分子材料(プラスチックや合成繊維など)の歴史に精通していない人からのご質問やご意見があるので、ネットを通じて答えておきたい。

 また、技術者の中にもレジ袋の追放に潜むトリックに気がついていない人もいるようだ。でも、それは社会的に弱い人をさらに痛めつけ、石油の消費を増やし、特定の業者の利権を守るだけだ。

さらに科学的事実に反する知識を社会に蔓延させることも良くない。高分子材料の歴史は複雑だが、よく学び、全体像とその結果を考慮してもらいたい。

・・・まず、高分子材料の知識から・・・

 人類が石油を大量に使い始めたのはそれほど古いことではない。おおよそ20世紀のはじめとしてよいが、その頃にはまだプラスチックは発明されていなかった。

 1924年、Staudingerが高分子の概念を作り、1930年代にDuPontの若き研究者Carothersがナイロンの合成に成功したことから、戦前にその基礎ができ、やっと第二次世界大戦後に花開いた材料である。

 その意味では近代工業における材料という意味では、鉄鋼に約80年ほど遅れている。

 石油は、最初は主として「燃料」として使われた。典型的には自動車用のガソリン、ボイラーに使う重油などであった。自動車産業の大変革をもたらしたT型フォードは20世紀初頭であり、石油精製工業をおおきく発展させた。

 日本でプラスチック産業が勃興したのは戦争の後、昭和30年代の半ばであり、西暦で言えば1960年頃から本格的になって来たと言えるだろう。

 日本国内に次々と石油化学コンビナートができ、またその時期に当時のプラスチックの主流の一つだったポリ塩化ビニルの製造関係で水俣病という大きな公害をだし、さらに四日市ぜんそくもこのような状況の中で起きた事件だった。

 急速な工業化の中で、さまざまな社会的ひずみが顕在化したのも歴史的事実だった。

 その頃のプラスチックと言えば、ポリ塩化ビニルとポリスチレンなどが主力で、今のように多くの汎用プラスチックやエンジニアリング・プラスチックはまだ一部に使用されていた。

 ところで、石油からとれるナフサと呼ばれる成分は燃料にはさほど良いものではなかったが、化学原料やプラスチックにとっては優れていて、ナフサから多くのプラスチックや合成繊維が誕生することになる。

 基礎的な知識だが、レジ袋や専用ゴミ袋などに使われるポリエチレンという高分子材料は一種類ではなく、製造方法とその性質によって何種類かある。

 たとえば高圧ポリエチレン(high pressure, low density polyethylene;LDPE)、低圧ポリエチレン(low pressure, high density polyethylene; HDPE)、その他のポリエチレンにわかれる。それぞれ高分子の枝分かれや絡み合いが違い、その結果、透明なものや半透明、柔らかいもの、硬いものなどができる。

 もともとポリエチレンはZieglerNatta(後にノーベル賞を受賞)らによって偶然に作られたものであったので、最初の頃の製造は困難を極めたが、今では様々な触媒が開発されている。

 特に高圧ポリエチレンは、製造が難しく時々、爆発を起こしながらの製造だった。その頃の製造マンは実に根性もあり、学力もあり、たいしたものだった。苦戦しながら日本の成長をたすけた。

・・・一方・・・

 高分子工業が発達して、日本に多くの石油化学コンビナートが誕生した頃、ちょうど、社会は高度成長期に入り、小売業ではスーパー・マーケットが登場した。

 スーパー・マーケットはそれまでの街の商店街よりも大量に仕入れ、客が棚から商品を取り出してレジで一括して精算するという新しい方式であり、品質が良く安価であったことから、たちまち小売業の中心になった。

 ダイエーの中内社長が流通革命を起こしたのは日本社会に広く長く貢献したと言えよう。「社会のため」が同時に「ダイエーのため」にもなった。企業は社会を裏切って儲けるのではなく、社会に貢献してもうけるものだ。

 著者もその頃、安価なダイエーが提供してくれる商品で、貧乏な若い時代を過ごしたものだ。

 深く感謝している。今の経営者にも、中内さんが最初に志したように、主婦のための正直な経営と、社会的な貢献を期待したい。

 ところで、スーパーの売り場には人が少ない。だから、困ったのは万引きだった。そこで、それまでのように「買い物袋」を持参してもらうと困るので、スーパーに備え付けのかごを使って買い物をしてもらい、レジのところで「ただ」でレジ袋を渡すという現在のスタイルが採用された。

 半透明で、ポリエチレンでできたレジ袋はそのようにして誕生した。

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 その頃、高分子科学の分野では、なんとかしてオレフィン類(エチレンやポリプロピレンなどほとんど直接石油からできる高分子の原料で、有機化学などではオレフィンという)を有効に使いたいという機運があった。ポリエチレンはレジ袋・ポリ袋やビールのケースには使えるものの、パイプなどにすると溶接がうまくいかなかった。

 染色もできず、用途は限定されたが、なんと言ってもポリエチレンはエチレンセンターの中心的な存在であり、その性質の向上や用途開発は大切だった。著者もポリエチレンの表面を放射線で処理する研究をしたことを思い出す。苦難の時代だった。

 ポリエチレンの親戚であるポリプロピレンになると、さらに厳しかった。時々、新しい触媒が発見されて「夢の繊維」などとはやし立てられたことはあったが、それも短期間で消滅した。どうも使いにくい材料で、余り気味だった。

 だから、ポリオレフィン類は安価だった。安価というのは余り物でもあったし、またあまりエネルギーを使わずに製造できるということでもあった。

 だから、ポリエチレンでできているレジ袋はとても環境によいものだった。もちろん、現代の「専用ゴミ袋」もポリエチレン製だ。誰かが悪智慧を働かせて「レジ袋は石油から作られるが、専用ゴミ袋は石油を消費しない」などと言っているが、これはまったくの間違いである。

 このような歴史的背景から、ポリエチレンをレジ袋に使い、タダで消費者に提供するというのは、石油の用途としては大変、優れていた。しかも、レジ袋で買い物をすると、ゴミを出すときにも使えるので、リユースの優等生でもあった。

 しかし、その頃でもポリエチレンを製造している人の気持ちは複雑だった。なにしろ、あまり気味のもので、製品の値段も崩れていた。

 それでも、単に燃やしてしまうより、すこしでも社会に役に立てばと製造に励んでいたのだが、職場を離れてスーパーに行くと自分の作っているものがタダで配られているのだから、切ない。

 「武田さん、やはり製造しているものとしては悲しいですよ」と私にこぼした製造課長を今でもおもいだす。

 そうこうしている間に、技術は進歩し、ポリオレフィンの性能があがり、カミンスキー触媒のような優れた触媒、立体規則性重合が進み、自動車のバンパーなどのかなり高級な用途に使えるようになり、値段もあがってきた。

 技術は少しずつ改善される。かつて、捨てられていたり、あまり気味だったものをそのうち使えるようになる。それに技術者は心血を注ぐ。

 かくして、現在では、レジ袋は作る時のエネルギーは多くのプラスチック製品の中でも最小の方だが、商品として独立したものになった。

 つまり、かつて余り物だった安いものも、次第に技術の改善で使えるようになって価格が上がると、今度は、それを仕入れるスーパーの方は負担になってきた。

 私が指摘しているのは、このいきさつであり、高分子材料の歴史をよく知っていなければレジ袋のトリックには気がつかない。

 たとえば、レジ袋の原料になるポリエチレンをキログラム150円とし、加工運搬に50円かかるとして、全部で200円とする。レジ袋の量は日本で30万トンほどといわれるので、

200円/kg*30*10000(トン)*1000kg/t=2*3*E10=600E8

で、600億円になる。

 つまり、スーパーはレジ袋をタダでお客さんに提供すると、年間600億円の出費になる。

 この出費を避けるには、まず第一に「市民にレジ袋をゴミ袋として使わせない」ということだ。レジ袋と専用ゴミ袋では同じ容量で目付(重量)がほぼ2倍違うから、専用ゴミ袋を売れば、まず1200億円の売り上げ(原価そのもので売った場合)の増加になる。これはスーパーにとってはたまらない。

 でも、いままでゴミ袋としてリユースしていたレジ袋を専用ゴミ袋にすると、環境にとっては石油を30万トン分が余計に消費されることになってしまった。

 自治体は、同じポリエチレンでできているのに、「レジ袋でゴミを捨てるな」と余計な出費を市民に強いた。

 スーパー側は、準備が整うと、今度は「レジ袋追放」という運動を始める。もしこれが成功すれば、レジ袋の代わりに専用ゴミ袋をつかうことになり、さらに「エコバッグ」というものを買わせることができる。

 スーパーはレジ袋に変わる専用ゴミ袋とエコバッグの売り上げを公表しないので、私が推定するしかない。リサイクル以来、国民に協力を呼びかけて、情報を公開しないという例がふえたが、これもその一つだ。

 また、エコバッグはさらにわからないが、数100億円の市場と考えられる。仮に一人が1000円のエコバッグを一年に平均して1枚買うとすると、買い物をする人は約5000万人(世帯数の人、一世帯一枚買うとする)だから、1000円*5000万人=500億円の巨大市場だ。

 エコバッグにはいろいろな材料が使われるが、ポリエステルなどのようにより性能の高いプラスチックや合成繊維が使われる。値段はほぼポリエチレンの2倍であり、およそ2倍の資源を使う。

 だから、全体から見ると、

1)  レジ袋でゴミを捨てていた頃と比較すると、専用ゴミ袋を使うようになって石油を2倍消費している。

2)  ポリエチレンのレジ袋の代わりに、ポリエステルのエコバッグを使うということは、より貴重な石油成分を使うことになる。

ということだから、環境という意味ではなにをやっているのだかわからない。

 私が石油化学を知っている専門家にお願いしたいことは、石油というものはクラッキングと精製をすると複数の化合物になり、その中にはかなりのエネルギーを使うものと、比較的少ないエネルギーでできるものがあること、成分の調整はできるが、単純に一つを減らせばその分だけすぐ減るわけではないこと、レジ袋を「専用ゴミ袋とエコバッグ」に変えたときの石油消費の増減は、環境省が言っているようにレジ袋だけの量を計算しても無意味なことを指摘してもらいたい。

 でも、特定の人はレジ袋の追放に手を貸している。スーパーはもちろん、賛成だ。一般の人がレジ袋追放といい、マスメディアが追従し、自治体が音頭をとっているなら、スーパーとしてはレジ袋を仕入れるお金が節約でき、専用ゴミ袋とエコバッグを売れるのだから、反対する理由はない。

 石油産業も、2倍以上の生産高になるのだから、反対することはない。

 かくして、苦しむのは専業主婦ではなく、つとめの帰りに急いで買い物をしなければならない人が朝の満員電車でエコバッグを持って行かなければならず、もともとゴミの量が少なくレジ袋で十分な老夫婦が痛い足を引きずって専用ゴミ袋を買いに行かなければならなくなったのだ。

 弱いものを痛めつける・・・そんな環境運動や、専門家はもう少し考えてみたらどうだろうか?

 私はレジ袋の追放に力を貸している専門家の気持ちがわからない。レジ袋の代わりに専用ゴミ袋とエコバッグにすると、スーパーは、

600+1200+500=2300億円

の売り上げ増加になり、それは一世帯にとって5000円近い負担になるのだ。

 この社会には年金暮らしの方もおられるし、病気がちの人もいる。でも、買い物をしたり、ゴミを出したりしなければならない。どうして、「環境」という錦の御旗を使って、石油の消費量をあげ、消費者の負担を増やしたいのだろう?

 環境省はもう仕方がないが、材料の専門家はそれが何を意味するのか、十分に知っているのだから・・・

(平成20723日 執筆)