私が最初に「リサイクルしてはいけない」という書籍を執筆したとき、私がつけた原題は「フランケンシュタインの子供たち」だった。

 環境問題というのは自分が産んだ子供が自分に反撃してきているというとらえ方だった。フランケンシュタイン博士は自ら作り出した生命からの反撃に苦しむ。

それと環境問題はまるで同じである。ゴミが増えると言っても自分がゴミを出しているのであり、温暖化が二酸化炭素ならそれも同じだ。東京に住み、年収1500万円の人が温暖化防止を呼びかける。実に変な現象だ。

 人間というのは、「自分が生んだものからの反撃には弱い」ということを克服できないので、簡単な問題でも捻れにねじれる。

 でも、人間の理性というものは、時に「欲望(利権や地位、名誉、メンツ)」と「恐怖(どうなるだろう?心配だ?不安だ?)」に打ち克って理性的になり得る存在のように思う。

 最初の本を出版して8年。その時はリサイクルはされていなかったから、いわば理論的検討の結果を書いた。そして「売国奴!」と呼ばれた。

昨年、リサイクルの実績が出たので、それを整理して書いた。それでも、8年前と同じように、社会の一部が「欲望と恐怖」の枠から切り離してはくれない。

 私の活動の第一の目的は、「環境を科学としてとらえる」ということだ。通常なら第三者的と考えられるWikipediaなどで、私の著作の批判が過半になるという状態は、現代の日本が「理性や科学」より「欲望と恐怖」が先にたつナチス時代のドイツに似ているからだろう。

 そこで、仕事が一段落したところで、また静かな大学のキャンパスで、初心に返って、しばらく「欲望と恐怖」とは切り離し、「私たちは何のために生きているのか」というテーマを、環境を中心に考えてみたいと思う。

平成20714日 しばらくぶりに執筆。