2年ほど前、突如として厚生労働省の官僚がテレビで記者会見を行い、「メタボリック症候群を退治しなければならない」と宣言した。それ以来、この用語は日本社会では常識の一つとなった。
メタボリック症候群というのは単に「肥満」というのではなく、腹部に脂肪がたまったことによっておこる症候群だそうで、病名なのか、それとも病気の原因となるかも知れない体型のことを言っているのか、まだ定かではない
ところで、この言葉は何語だろうか? おそらく(辞書を引けば書いてあるが)前半の「メタボリック」というのは英語だろう。そして後半の「症候群」というのは日本語のように見える。英語ではシンドロームという。
でも、アメリカではメタボリックというのは専門用語としては使われていると思うが、一般的には「ダイエット」である。今でもそうかなと思って数人の知人に聞いてみたら、やはり「ダイエット」という言葉を使うという。
すでに日本の場合も「ダイエット」という用語は普及していて、総じて「あまり太りすぎないように健康に注意しよう」という意味で使われている。「ダイエット中ですからあまり食べないようにしています」というと周囲も納得する。
それなのに、なぜ新しく「メタボリック」という名前を使い始めたのだろうか?
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環境関係を研究してきた私にとって官僚が怪しげな英語を使うときには「天下りを作ろうとしている」と時だ。その一つの例が「サーマル・リサイクル」である。
「サーマル・リサイクル」という名前はもちろん和製英語で、本当は焼却であり、焼却するときにエネルギーを回収した場合は「エネルギー・リカバリー」という。
でも、それでは「リサイクル協会」を作ることができない。そこで「サーマル・リサイクル」という用語を作り「リサイクル法」の一つの方法に入れる。反論があると「法律で焼却はリサイクルに入っています」と涼しい顔で答える。
ものすごい考え方で、とても頭が正常な人とは思えない。
「ゴミを焼却してはいけない。リサイクルしよう。そしてリサイクルの途中で焼却するときにはサーマル・リサイクルと呼ぼう」というのだから並大抵の神経ではない。
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「ダイエット」は定着している。すでに定着していることでは、新しい規制も作れないし、天下り団体も作れない。また、ダイエットをするかどうかは個人の思想信条の問題であり、「食べたいのに食べてはいけない」などいう規制は憲法の保証する自由に抵触するだろう。
だから、単に「太ってはいけない」という規制はできない。このような複雑なことを考えるのが最近の優れた官僚というものである。「メタボリック規制」というのは「太ってはいけない」という規制とほとんど同じであるが、特定の症候群を相手にしているので規制が可能となる。
でも、腹部の脂肪というけれど、測定方法は筋肉だろうが、脂肪だろうが、おなかの周りの寸法を測るだけである。それがある基準値を超えたら補助金を出さないとかあらゆる嫌がらせをする。
何のための規制か?と訪ねると、「国民の健康を守る」という。そうかと思って減量に励み、晴れて長生きをして75歳に達すると「後期高齢者」ということで、できるだけ早く死んでくれという。
長寿を楽しめば病気が増えるのは仕方がない。でも、日本人という誇り高き民族は、足蹴にされてまで長生きをしようとはしない。でも、官僚は私たちを、本当に誇り高き日本国民と考えているのだろうか?
目の前にある好きなものを食べるかどうかは本人の自由だ。まして腹回りが何センチなどというのも他人が口を出す必要はない。私には、そんなことを規制したり、まして税金でコントロールするのは、明白な憲法違反だと考えるがどうも犠牲者がでないので訴訟になりにくい。
仮に訴訟に持ち込んでも、裁判官は決して国には逆らわない。裁判官の出世は国が決めている。がんじがらめだ。
それなら、メタボを支持した政党には投票したくない。そんな政党が政権を取ったら、今後も、あれはダメ、これはダメと言ってくるだろうから。せめて、メタボ規制をするなら、それを守って75歳に達した人は医療費を無料にするぐらいの総合的な政策のもとで日々の生活を過ごしたいものだ。
今回はメタボリック症候群という最近の話題を取り上げてみたが、私は前から日本政府が国民の寿命を本気で考えていないと思っていた。本来は、政府にとって最も大切なのは「国民の生命と財産」であり、「心の満足感」である。それを守るために政府というものがある。単に税金を取るためや、天下り団体を作るために政府があるわけではない。
日本人の寿命は今から90年前は平均して43歳ぐらいだったが、幸いなことに今は80歳になった。それでも定年はおおよそ60歳であるし、それ以後の生活も年金が不安定だ。このこと全体についての考え方は成熟していない。
私は科学者だから発言を控えていたが、昨年から「計算で片づくことは言いたい」という思いで、「働きたい人の定年をのばすだけで、年金の心配はない。少子化の問題も起こらない」ということを書いた。
長寿というのは物理的に命が長いだけでは幸福な人生を送ることはできない。社会全体が自分の長寿を喜んでくれることが大切だ。それには、一にも二にも「日本人は誇り高き国民だ」という意識が政府に求められる。
(平成20年6月17日 執筆)