2008年6月7日、旅行先で新聞を読んでいたら、小学生の作文が環境の賞をもらったという記事とその作文が載っていた。かわいい聡明な感じの小学生だった。
その作文には、
「最近、気温が高くなってオホーツク海の流氷が少なくなり、魚が取れなくなった」という趣旨のものだった。そして作文の題は「ぼくになにができるか」というようなものであった。
私は朝食をとりながらやや暗い気持ちになった。誰かがその小学生に「環境に良いこととは儲かること」と教えたらしい。その作文の論旨は次のようなものだったからである。
1) 最近、気温が上がっている
2) 流氷が少なくなった
3) 流氷が少なくなるとプランクトンが減ると先生にならった
4) プランクトンが減ると魚の取れる量が減る
5) だから、気温が上がるのは環境破壊だ
しかし・・・
1) 気温が上がる理由には、太陽活動などの自然現象と、二酸化炭素などの人為的要因がある。
2) かつて歴史的にはオホーツク海に流氷がなかった時代は多い。
3) たまたま現在の大人が子供のころは流氷が多かった。
4) 魚が取れなくなるというのは、それがそのまま環境破壊ではない。環境とは人間が得をするとか損をするという尺度では考えてはいけない。
ということも確かである。
賞をもらった子供が聡明ならやがて事実を知ることになるだろう。その時に、自らが知らなかったとはいえ、間違ったことを書いて賞をもらったことを深く恥じるに違いない。そしてそれは生涯に残る心の傷になるだろう。
「僕はなんで、儲かることが環境に良くて、儲からなくなると環境が悪くなったと思っていたのだろう。そして、僕がオホーツク海の流氷の歴史を知らないことを新聞にまで載ってしまったのだろう」
先生という職業は大変である。テレビや新聞で報道していたからという理由で子供に間違いを教えてはいけない。ひとり一人の先生が胸に手を当てて、本当のことを子供に教えたかを自省しなければならない職業である。
すでに全国の小学校で「紙のリサイクルは環境によい」と間違ったことを教え続けた。その反省は活かされているのだろうか?
(平成20年6月7日 執筆)