これから科学を志して勉強している若い人のために、少し書いておきたいと思う。

最近、よく「100年後の気温が平均2.7℃あがる」とか、「100年後に白神山地のブナ林が消える」というような報道がされていて、その記事は国立環境研究所というところからだから、研究者の発表が元になっている。

だから、もしかすると「研究者が100年後を予測した」と思うだろうと心配になった。でも、「研究者」というものは100年後は予測しない。

研究者は100年後を語ることはない・・・それはなぜだろうか?

世の中にはさまざまな役割をもった仕事がある。その一つ一つは社会で意味があって、お互いに相反するように見えても全体として調和している。

たとえば「伝統を守る職人」という仕事があるが、昔からの伝統をかたくなに守って文化を伝承する。実に立派な仕事だ。仕事を進める上では改善をしても、伝統を守るのだから、伝統自身を自分の考えで変えることはしない。

それとまったく正反対なのが「研究者」だ。私は長く研究をしてきたが、研究とは目の前にあるものを疑うことが基本だ。当たり前と思っていることになにか間違いがあるのではないか、私たちは真実を知らないのではないか?といつも疑っている。

もし、現在の状態がまったく変わらなければ、研究というのはほとんど必要がない。一見、昔のことを調べているように見える考古学でも、発掘によってこれまでの定説が覆るのではないかと信じている。ただ、これまでの知見を積み重ねるだけでも意味がないわけではないが、研究者は新しさを目指す。

だから、研究者は「100年後」は語らない。なぜかというとそれは「100年間、学問が進歩しないので、概念も変わらない」ということを自ら認めることになるからだ。

自分は明日を覆そうとして活動しているのに、このまま100年続くという仮定は同時に成立しないからだ。

 今、考えていることは「今、正しいと思っていること」であり、それは明日には覆される。だから「今のまま、温暖化したら」などいう前提自体が研究者の出すべきことではない。

 研究者なら「100年後」を計算するなら、100年間におこることを正確に予測しなければならず、「100年間、今のままなら」などという仮定はあり得ないのだ。

 事実、この社会は30年も同じ状態ではない。それが100年も経てば科学も全く様変わりになるし、社会自体も変化していく。とても「100年間、今と同じ」などという仮定はあり得ない。

 そのところをしっかりと見極めてほしい。

 研究というのはいい加減ではない。「確かに、100年間にいろいろ起こるかも知れないが、たとえば、現在の状態が続いたとしたらという仮定だ」ということもできない。もしそのように言ったなら、「それでは現在の状態がそのままつづく確率はどの程度ですか?」と質問され、「0%です」と答えざるを得ないからだ。

 そうなると100年後を予測する研究者は、確率0%と自分で思っていることをいうわけだから、詐欺師になる。

 研究は未来を語ることはできない。このことは古今東西、多くの人がいっており、未来学という学問が予測をしないということからもわかる。「100年後は、こうなる」という研究者や研究機関は名前を変えなければならない。若い人が誤解するから。

(平成2066 執筆)