政府は「こまめに電気を消して二酸化炭素を削減しよう」と国民に呼びかける。
政府は「もっと多く二酸化炭素を排出している業界は電力業界だ」と発表した。
二酸化炭素を出しているのは誰だ? 電気を使う国民?それとも電気を作っている電力会社?
テレビをつければ電気を使う。だからテレビを一日一時間、節約しろという。でも、テレビからは二酸化炭素はでない。それは三菱自動車が「電気自動車から二酸化炭素はでない」と広告しているのと同じだ。
でも、現実に二酸化炭素を出しているのは電力会社だ。だから、三菱自動車の言うように「電気自動車は二酸化炭素を出さない」というのは正しい。
東京電力は文句を言うだろう。確かに三菱自動車の車は二酸化炭素を出さなくても、発電所ではでる。大会社としては誤解を招く問題の宣伝だ。
「みなさんが電気を使うから私たちは石油や石炭を使って電気を作っているのです。もしみなさんが使わなければ二酸化炭素を出しません。私たちの責任はいかに少ない石油で多くの電気を作るかということです。」
これはもっともなことだ。国民がみんな三菱自動車の電気自動車を買えば、電気がどんどん必要となる。自動車自身は二酸化炭素を出さないが、東京電力の火力発電所の煙突からは二酸化炭素がでる。ただ、中間に「電気」というのがあるにすぎにない。
つまり、この社会の「何がどういう影響を環境に与えたのか」というのは、計算をする前に分担を決めなければならない。単に計算すれば、テレビや電気自動車を使っても使わなくても二酸化炭素は変わらないから、電力会社だけを責めることになるが、それはなんの効果もない。
これと同じことが「エネルギーを多く使う行動」というのにも当てはまる。
個人が自動車にガソリンを入れてドライブするのは二酸化炭素を出すけれど、コンサートに行けば切符を買うだけだから二酸化炭素を出さない、という計算である。だから普通はコンサートが環境によいということになる。
でも、コンサートのチケットの値段の一部は劇場の照明であり、一部は演奏者のギャラである。照明は二酸化炭素を発生するが、演奏者のギャラは発生しないという。環境計算では、演奏者は自動車にも乗らないし、テレビも見ないと計算することがおおい。
計算の方法にもよるが、今、日本では直接的なエネルギーは20兆円ぐらいの市場規模だが、日本全体のGDPは500兆円で25倍違う。この原因は「エネルギーの価格が何回転しているか」という指標であり、25回転であることがわかる。
つまり電力会社も二酸化炭素を出しているし、テレビも二酸化炭素を出す。二酸化炭素が減るためには個人がテレビを使わないことでもあり、電力会社が電気を作らないことでもある。社会へのその割合は電力会社が使うお金と、テレビで払う個人の電気代の両方を足さなければならない。
社会の活動は複雑に絡み合っていて、どれがどれと割り振ることはできない。特に恣意的に割り振って、電力会社をけん制するときには「電力会社がもっとも多く二酸化炭素出している」と言い、個人を攻撃するときに「電気をこまめに消しましょう」と呼びかけるのは両方とも正しくない。
この社会の寄与は「お金」で代表されている。それがその個人の意思になり、その組み合わせが環境に負荷を与えているのだ。だから、環境負荷はお金で計算することができる。
環境を評価する手段としてLCAなども有効であるが、まだ学問的に「行為が社会に及ぼす範囲」を特定できないでいる。研究が進めば大丈夫だろう。
またLCAの研究をしている科学者に忠告したいが、LCAは批判に敏感であってよく反撃される。でも学問というのは批判を歓迎するものである。早く社会の「名誉」とか「利権」から離れて、純粋な学問としてのLCAを発展させてもらいたい。
(平成20年6月1日 執筆)