「環境にやさしい生活」という言葉がある。私はほとんど使っていない。それは

そんなものは容易に見つからないということと、見つかってもそれを選択する手段が見当たらないということだ。

 もちろん、ゴミ箱でもないところにゴミを捨てたり、有害物質をまき散らすというようなことは悪いことだが、環境にやさしいというとそういうことではなく、「ゴミを減らす」とか「二酸化炭素を出さない」というような生活態度をいう。

 まず、気になるのが「タクシーに乗るのは環境に良くないから、できるだけ歩こう」ということを考えてみよう。普通は「歩く」ほうが環境に良いということになっている。

 すぐ、いろいろな疑問がわいてくる。

1)   タクシーの乗ろうと、歩こうとそれはその人の自由ではないか?

2)   タクシーや環境に悪いが、新幹線は良いという理屈があるか?

3)   タクシー業というのは環境に悪い商売か?

4)   環境省の人はタクシーを使わないのか?

5)   タクシー代が浮くけれど、それを何に使うのか?

6)   本当は節約してケーキを食べたいからそう言っているだけ?

 普通の人の行動は「その人がポケットに持っているお金をおおよそ考えながら、その人にとってお金を使う価値があるように行動を選択する」と言える。

ある人は歩くのが面倒だから、あるいは急いでいるからタクシーを使い、ある人は歩くのは平気だが、ケーキが好きだから、タクシーとケーキと比較するとケーキを選ぶという具合だ。

 「お金が支配する社会は悪い」という考えもあるが、ともかく今の日本では自分の行動は「自分の人生観と持っているお金」で決めている。それは事実であり、間違っていない。

 東京から大阪に行くのに新幹線を使う。ある距離を移動するのに必要なエネルギーは速度に比例するので、在来線で行く方が新幹線で行くより少ないエネルギーで済む。それでもなぜ、「環境に配慮する人」なのに新幹線を使うのだろう。

 それは新幹線が便利だからだ。それならタクシーとどこが違うのだろう。「私はタクシーに乗らない。だからタクシーは環境に悪い。私は新幹線に乗る。だから新幹線のことを言わないでくれ」という論理はダメだ。

 タクシー会社は弱小だがJR東海は大きな会社だから悪口をいうといじめられるという話もあるが、もしこの話が本当なら、大きい会社なのに節度のないことだ。

 もしタクシーや新幹線が環境に悪い商売なら、環境省はタクシーや新幹線に乗らないのか?というのも面白い問いだ。環境省は「二酸化炭素を減らすためにクールビズ」という運動を始めた。私は「ある業者から頼まれたな」と解釈したが、表面上は環境に良いことになっている。

 このことは「何を着るか」ということも環境に配慮しろということだから、環境省の役人はタクシーや新幹線に乗らないだろう。どんなに深夜になっても個人的でもタクシーにのらず、大阪に行くにも新幹線を使わず、家にはエアコンや水洗トイレは設置しないはずだ。

 でも、本当はそうではない。環境省の役人はクールビズはしているけれど、その他のことは環境を考えてはいない。少なくともいただいた給料は使っている。

 そうすると、話は煮詰まってくる。タクシーの乗るのをやめたのは良いとして、それで浮いたお金をどうするかという点に絞られる。A社のタクシーの乗るのをやめて、別のB社のタクシーに乗ってもそれはほとんど同じである。

 A社のタクシーの乗るのをやめて、その710円(東京のタクシー代)だけガソリンを入れて自分の車で走れば、タクシーより多くの石油を使うから、よけいに環境にはよくないことになるが、それは本当か?

 タクシー代は人件費がはいっているので、それを環境に関係のないお金とすると、タクシーで移動するより自分が移動した方が環境に悪いことになる。これもちょっと変だ。

 それではタクシー代をケーキに充てるとする。ケーキは原料をはるか外国から買うから、値段に輸送船の燃料が入っている。原料を加工し焼いてケーキを作るまでに結構なエネルギーを使う。人件費とエネルギーの比率はタクシーと比較してどうなっているのか、毎日の生活で計算するわけにはいかない・・・

 では、どうしたらよいだろうか?

 政府はお金をあまして預金すれば、銀行が国債を買い、それで役人の天下り先を作ると言っている。それも腹が立つ。

 かくして、「環境に良い生活」というのに私は行きづまり、ばからしくなってやることも考えることもやめてしまったが、多くの人がしょっちゅう、口にするので未だに気になっている。

(平成2061日 執筆)