「持続可能な発展」という言葉がある。

環境問題が次の世代には大きな問題になり、人間の文化の発展はもうすぐ終わるのではないかという危惧から国連を中心に21世紀のもっとも大切なテーマとして唱えられている。

でも、一歩、下がってこの言葉の意味を考えてみよう。

まず、今になって「持続可能」というには「これまでの人間の社会は持続可能な社会だったが、現在の社会はあまりに資源を使いすぎて、資源の枯渇、環境の破壊が起こって持続できない」という認識があるのだろう。

「発展はそのうち崩壊する」というイメージもある。

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 人間の歴史を振り返ると、1万年前からでも、エジプト文明などの四大文明、ギリシャローマ時代、中世およびイスラム時代、近世ヨーロッパの世界支配時代、そして現代に分かれる。

 エジプトなどの文明はローマの台頭で滅びたが、特に人間が破滅したわけではなく、やや良い時代へと進んだと評価できるだろう。次に、ローマ帝国は寒冷化によってゲルマン民族が南下して分裂したが、人類がどうのこうのという問題ではない。

 中世およびイスラム時代はヨーロッパについてはやや活動が鈍っていたが、イスラムやアジアは比較的、活発だった。アメリカ大陸にもマヤ文明やアンデスの文明が栄えた。

 ひどいことが起こったといえば、近代があけて軍艦、大砲などができて、ヨーロッパがほぼ全世界を植民地として圧政をしいたことだろう。この一部は20世紀の中盤まで長引いた。アメリカの奴隷制度も大きな被害を与えた。

 この未曽有の惨禍は「持続性」を失ったわけではないが、新しく侵略の道具を作った被害がヨーロッパ以外の国におよんだ例である。ヨーロッパにとっては植民地を作ればそこからの「あがり」で楽な生活ができるし、植民地が反抗すれば殺せばよいので問題はない。

 イギリスのインド支配がその典型的なもので、イギリスが歴史的にインドから搾取した富は計り知れない。科学の発展が人間性の発達を上回り、悲惨な人たちを生んだのである。

 もちろん、軍艦と大砲を作っても「自分のものは自分のもの、他人のものは他人のもの」という意識さえあればよかったが、ヨーロッパ人はケチくさく、暴虐だったから、侵略によって富を得ようとしたのである。

 それでも「持続性」は保たれ、現代に至っている。現代は植民地時代よりましな世界と言えよう。

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 現代は、かつての植民地時代の幕開けのように「科学の進歩によって持続性が失われつつある時代」なのだろうか?持続性を失わせている国はどこなのだろうか?

 私は、温暖化は環境破壊にならないと思っているが、世界の二酸化炭素の排出のうち、60%はヨーロッパ、アメリカである。もし、持続性発展が難しいとすると、それはまたしてもヨーロッパ種族がもたらした世界的災害である。

 だからその意味でも私は「温暖化騒動」には一歩、離れていたい。

 次に、本当にこのまま行くと持続性を保てないのだろうか?何が起こるのだろうか?

 まず、エネルギー源の枯渇だが、石油が枯渇すれば石炭、石炭が枯渇すれば天然ガス、天然ガスが枯渇すれば核分裂、核分裂が枯渇すれば核融合と、あと3000年ぐらいは確保されている。

 私はダメと思うが、水力(太陽熱が原動力)、風力(同)、太陽電池(同)なども補助的には使えるだろうし、生活を縮小すれば「持続性の破壊」などと大げさなことを言わなくても大丈夫だ。

 材料でいえば、銅が枯渇すればアルミニウム、鉄が枯渇すればアルミニウム、石油が枯渇すればC1ケミストリーとそろっているので材料も大丈夫だし、森林からの樹木もある。

 ゴミや焼却すればよいし、有害物質は作らなければそれで安全である。だからなにが持続性を破壊するのかわからない。おそらくここでいう「持続性」とは「今のような石油漬けの生活ができなくなること」を意味しているのだろう。

 そうなると「持続性社会」というのは「現在のような石油漬け、大量生産、大量消費、有害物まみれ」という社会を続けたいということになり、言葉とその内容に大きな矛盾を感じる。

 「持続可能」というのは、原理的に満足されるのではないか?

もちろん大規模な原爆戦争でも起こり、人類が一瞬にして滅亡するなら別であるが、100年前に世界の人口が15億人だったのが、現在は4倍の60億人を越えた。このような「膨張社会」を続けるのが持続性だろうか?

 日本政府は「少子化対策」を進めている。ということは政府の考えている「持続性」とは「今までのように右肩上がりで、限りなく人口や生産が増える社会」を意味している。でも、環境に興味のある人は方向が逆である。

 おそらくは多くの人がボンヤリと考えている「持続性」とは「エントロピー増大の法則を覆す社会の構築」のことを言っていると思うし、それに向かって努力するのも間違いではない。

 でも、少なくとも現在の学問が教えるところによればエントロピー増大の法則は崩れることはない。でも、若い人の研究によってエントロピー増大の法則が打ち破られる日も来るだろう。その時に、「現在と同じような大量生産・大量消費社会を持続する方法」が発見されると思う。

 人間はこれまで「次世代」を考えてくることはなかった。それよりむしろ「この世の終末が来る」と言い続けてきた。もともと「持続性」という概念は人間にはなかった。

 万物流転、使い切ったものはなくなり、また新しい世界が開けるというのがこれまでの考え方だったが、今の生活があまりに恵まれているので、次の世代もそれを手放したくないと希望するだろうと信じている。それが「持続性」という概念なのだ。

 でも、おそらく、「持続可能な発展」というテーマが危ういとすれば、それは何が持続で、何が危ないのかを議論させない「環境全体主義」なのだろう。

(平成2061日 執筆)