昨日、あるシンポジウムでとてもよい話を聞いた。
その先生が紹介してくださった方は西村先生という方で化学系のシステム工学の先生である。大学をご退職の後、水俣病のご研究をされ、メチル水銀と病気の因果関係を調べられた。大部の書籍も出しておられる。
その折、水俣病の多くのデータは、政府や会社の思惑で捨てられたり、焼却されたりしたという。そんな中でなんとかデータをかき集めて先生は解析を進めた。
社会というものはいつもそのようなもので、権力やお金を守ろうとしている人たちは都合の悪いデータを廃棄するが、それを新聞記者や学者が追いかけて掘り起こし、事実を明らかにしていく。
だから学問の自由や取材の自由が必要となる。
権力というのはどうしてもわが身を守ろうと悪いことをする。それは人間というものがそういう性質を持っているからで、野放しにしていると社会が被害を受けるので、政府から妨害を受けないように、学問の自由や報道の自由、取材の自由が保障されている。
しかし、自由はあっても「失ったデータ」、「提供されないデータ」を探し出し、掘り出し、そしてそれをまとめるのは大変な作業である。西村先生も多くの妨害があり、それを克服するのに長い年月を要した。そしてご定年後、さらに調査に時間を費やして整理をされたと、そのシンポジウムでお話があった。
先生のご研究が水俣病の被災者の救済や今後の薬害の発生の防止に役に立つことを祈りたいし、おそらくそうなるだろう。
現在でもカネミ油症事件など、多くの薬害に苦しんでいる方がおられ、またその人たちを救おうとして運動をしておられる方々も多い。そのような方に西村先生のご努力はとても大切なものである。
ところで、西村先生に比較することもできないが、私も「ペットボトルは本当にリサイクルされているだろうか?」という数字を出すのに10年ほどかかった。これほど国民的な運動としてペットボトルのリサイクルをしているのに、「どの程度の量がリサイクルされているのか」という数字はまったく出ていないのだ。
名古屋市に問い合わせると「分別収集したものは業者に渡しています」というし、業者は「商売の秘密だからデータは出せない」といい、時に脅されることもある。
だから、学問の自由が必要となる。かくして、私は調査を行い、理論計算をして、「資源の節約になっているのは、50万トン余のうち約3万トン」と発表した。
反撃は激烈だった。
・・・武田は公的なデータがないものを発表した。
・・・独自のデータで当てにならない。
・・・愛知と岐阜を中心としたデータは全国平均ではない。
・・・理論計算などあてにならない。
・・・ペットボトルリサイクル協議会のデータをもとにしていていも名前を出してもらっては困る
・・・ ・・・ ・・・
それに加えて無言の電話、差出人不明の脅迫メールなどが相次いだ。リサイクル関係の方のほとんどが読んでおられる「日経エコロジー」に詳細に根拠を書かせていただいても、「まったく数字の根拠を示していない」と言われる。
でも、すべて織り込み済みである。権力が隠すことを明らかにすれば反撃は当然である。歴史的には私とは比較にならないほどの苦痛を味わった人は数限りない。
「額に汗して働いて得られるもので人生を送る」と決めれば簡単なのに、人間は「なんとかズルしてもっと楽な生活をしたい」と思う動物である。そこで、税金を狙い、特需を期待し、賄賂を贈る。
人間の性(さが)だから仕方がない。
でも、「環境が大切」と思っている人、「水俣病の患者さんを救いたい」と願っている人、ぜひ、「権力に反してデータを掘り起こし、発表することの大変さ」を理解してもらいたい。それは、未来の明るい日本を子供たちに残すためにどうしても必要なことだからだ。
(平成20年6月1日 執筆)