明治維新以来、日本に導入され吟味されることなく「正しい」とされたこと、また戦争に敗北したという物理的現象だけで「誤っていた」とされたことが議論なく「教育の基本」を作ることになった。

従って、戦前の旧制高校から新制の大学に至る教養教育を歴史的に評価すると「教養」とは、「自分、または所属する民族や国家の優位を強調し、他人、もしくは他民族や他国を圧迫し、自然を収奪するための巧みな口実を与えるもの」であった。

 15世紀末のヨーロッパにおける教養は「神に近づく無限の努力」であって、”Uomo Universale は個人の徳目であった , )。しかしこの「神」はやがて自らが所属する世界以外のアジア、アフリカ、アメリカの諸民族をほとんどすべて奴隷、もしくは植民地にしてそこからの収奪で豊かな生活をするという残念な結果をも招いた。

 15世紀の大航海時代からポルトガル、スペイン、オランダ、そしてイギリスが行った人類(ヨーロッパ以外の諸国民)に対する残虐行為は、その規模や期間の長さから言ってたとえばナチス・ドイツのユダヤ人虐殺やアメリカ合衆国による広島・長崎への原子爆弾投下などとは比較にならないほど巨大なものである。

有色人種国家に対するヨーロッパ諸国は侵略、殺人を合法的に行ない、それに船舶技術、大砲などの技術がシステマチックに用いられた点でもナチス、原爆と類似している。仮にヨーロッパにおける enkyklios paideia  Uomo Universale が人間形成に有用であるとすると、自らの存在価値を認めると同時に見ず知らずの人間とその文化の価値も同時に認めであろうが、歴史は反対の事実を示している。

 「人格形成の教育」が結果としてもたらしたものが「相手の存在価値を認めない」ということであれば、それは教養という用語の響きと著しく異なる。かつてソクラテスはプラトンが著した「プロタゴラス」のなかで「徳」は決して教えることができないものだと述べているが、まさにこの忠告を無視した結果となり、大学で獲得した教養の知は彼らの理性をときどき覚醒させたものの行動の支配的規範にはならなかった。

 今日、地球規模の温暖化を中心として環境問題が大きな関心事になっているが、それは植民地が作れなくなったヨーロッパ人が標的を「有色人種の国」から「自然」に移行しただけである。はやり限りない収奪と自己の正当化という基調は変化していないのである。日本は明治維新以来、欧米文化に追従してきた。その結果、歴史的には2000年間、大規模な他民族への侵略という点では豊臣秀吉の朝鮮戦役しかなく、その規模もヨーロッパ人の拡大活動に比較すればその規模はきわめて小さい。ところが、明治維新以来、北海道におけるアイヌ人の圧迫、台湾、朝鮮、南樺太、千島を併合した1910年までの活動、そして第二次世界大戦に至るさらなる拡大はまさにヨーロッパ文化をそのまま踏襲した悲劇であった。

特に明治の初年から武器を持たない北海道のアイヌ人の居住区を徐々に縮めていった歴史は近代日本における重要な民族間の軋轢の問題であるが、ほとんど事実は解明されていない。

また第二次世界大戦後は、中国、インドなどもヨーロッパ文化の延長線上を進むようになり、今はその結果が、人類の活動自体を危うくすると危惧されている。

 このようにヨーロッパ文明には抜きがたい「両価性」という病状(精神病の一種で、価値観の異なることを同時に行うことができる症状)がみられる。従って明治以来150年間に提供されたヨーロッパの分厚い学習書を見直すためには「左に曲がった木を直すには右にねじらなければならない」との中国の故事にならって大きく逆側にふる必要があろう。

上記の記述を具体的に描写をする目的で、19世紀半ばにおけるヨーロッパの階級制(エンゲルスの労働者の描写 )、他民族への残虐性(アヘン戦争におけるイギリス議会の演説)、江戸末期の日本の民衆の描写(日本文化の実態)、そして収奪文明を学んだ例としての東京大学工学部(前身:明治19年)が設立されるときの大鳥圭介の演説を示す。

いずれも19世紀の資料である。19世紀は我々に多くの示唆を与えてくれる。

「(19世紀中盤のイギリスの都市において)貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化の悪い食料が与えられる。貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に披露してしまうまで酷使される(エンゲルス)。」

「(19世紀中盤の日本について)これらの良く耕作された谷間を横切って、非常な豊かさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏してる土地とはまったく信じられない。むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民は居ないし、またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを得なかった。気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない。(イギリス駐日大使オールコック)」

「清国にはアヘン貿易を止めさせる権利がある。それなのになぜこの正当な清国の権利を踏みにじって、わが国の外務大臣はこの不正な貿易を援助したのか。これほど不正な、わが国の恥さらしになるような戦争はかつて聞いたこともない。

大英帝国の国旗は、かつては正義の味方、圧制の敵、民族の権利、公明正大な商業の為に戦ってきた。それなのに、今やあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられるのだ。国旗の名誉はけがされた。もはや我々は大英帝国の国旗が扁翻と翻っているのをみても、血湧き肉おどるような間隙を覚えないだろう。(イギリス下院議員グラッドストーン)」

 「 吾人亜細亜洲人ハ何故ニ欧羅巴洲人ニ及バザルヤ.地積ノ大小ヲ問ヘバ,亜細亜全洲ノ面積ハ幾ンド欧羅巴ノ六倍アリ.人口ノ多寡ハ如何.亜細亜全洲ノ人口凡六億,欧羅巴ノ人口凡三億ニテ,即二倍ナリ.(中略) 然ラバ,版図ノ大小,人口ノ多寡,開闢ノ時代ニテモ亜細亜洲ガ一番ナルベキニ,何故ニ亜細亜人ノ領分ガ欧羅巴,亜米利加,亜弗利加,豪斯多利亜ニ無クシテ,却テ亜細亜,亜弗利加等ノ国々ハ欧羅巴人ニ掠略サレシヤ.又何故今日農工商ノ事ニテモ交際上ニテモ欧羅巴人ニ蔑視サレテ頭ガ挙ガラヌカ.之ヲ考レバ,泣クニモ泣カレヌ歎ハシキ次第ナリ.之ヲ要スルニ,皆学識ノ虚実ト智力ノ強弱トニ縁ラザルナシ.」

最後の大鳥の文章を現代風に、かつ簡略にまとめると「アジア人は学識と知力がないから、ヨーロッパ人から略奪され、蔑視される。一刻も早く「利口」にならなければならない。そしてその目的は、他の国を略奪し蔑視することである。」となるのではないだろうか?

つまり、仮にヨーロッパ人が行っていることが間違っていれば、同じ道を進むのに躊躇するか、あるいは制限条件がつくと考えられる。たとえば「仮にヨーロッパ文化を学んだとしても、他の国を略奪し蔑視することはしない」という意識と記述があれば結果は変わっていただろう。

 ともあれ、日本の次世代を担う若者に伝えることは、「相手の存在価値を認めない文化」ではないと考える。

参考文献

1)Johnston, Robert K.; J Walker Smith 2003. Life Is Not Work, Work Is Not Life: Simple Reminders for Finding Balance in a 24-7 World. Council Oak Books.

2)白取春彦, 「この一冊で「哲学」がわかる!」(1997)三笠書房

3)プラトン (), 藤沢 令夫 (), 「プロタゴラス―ソフィストたち  (岩波文庫) 

4)武田邦彦、「工学倫理の教育」、工学教育、Vol.46, No.1, p.12-16 (1998)

5)Brown H, The Wisdom of Science, (1986),

Cambridge

University

Press.

6)エンゲルスは「イギリスにおける労働者階級の状態」(1845