ヨーロッパで発祥したいわゆる大学はボローニャ大学が法学を、パリ大学が神学を中心としたように当時の社会のエリート職業としての神学、法学、医学を学ぶ場所として認識された。すなわち大学の発祥からその社会的役割を探れば、学問とか教養というイメージより「職業教育の場としての大学」が運営されたとしてよいだろう, 参考文献有り(後同じ)

その後、19世紀のドイツ流の大学の概念が構築され日本はその影響を強く受けている。つまり日本の大学教育は、自らの発祥の歴史を持たないためにヘンリー・ダイヤーが指導した現在の東京大学・工学部のような実学、職業知識中心の教育も一部には存在したが、全体から見ると旧制高等学校の教育のように人間の形成 Bildung をその中心的概念に据えて発展し、日本社会もまた大学を学術、教養の場として認識していたと言えよう。

世界全体の動きを技術教育を中心として振り返ると、ドイツにおいて新しい大学の概念が形成されつつある時代と、時期を同じくしてトルコ、イギリス、そしてアメリカ東北部における工科系大学が設立され、ここでは自然科学(理学)と技術を並行して工学の教育を行い始めた

ボローニャ大学に色濃く見られるように学生は自らが専門的職業に就くために、それに必要な具体的能力をつけるために大学を設立したとすると、人間としてのBildungを期待したのとは異質であり、それは19世紀後半に設立された工科系大学もまた同様であった

これに対してとりわけ19世紀ドイツの大学におけるBildungの構想は、教育を受ける大学生が自ら求めたものではなく教育者側、もしくは為政者側から概念的、もしくは政策的に提示されたものの可能性が強い。

この関係は日本でも同様であり、藩校や寺子屋の教育は軍事、財政、そして読み書き算盤などの実利を中心としており、「もののあはれ」や来世観、花や茶に見られる形からの人間形成は、必ずしも藩校や寺子屋のカリキュラムからではなく、日常的な生活、武道や茶道、そして儒教の教えなどから獲得していった

すなわち近世ヨーロッパで誕生した大学の歴史や明治維新前の日本の教育を考えても、教育を受ける側の学生が大学に教養や学術、もしくは人間形成を期待していたとアプリオリに認めることはできないと考えられる。

さらに複雑なことには、「人間形成」を日常教育の中で獲得することができる貴族などの少数のエリートが実利的な能力を集団(大学)を形成して学ぶ時代から、大学は想像ができないような規模まで大衆化した。大学の大衆化は仮に大学が社会に「知」を伝達し、発信する機関として位置づけられるなら多くの人により高度な「知」に接する機会を作ることになるので、人間社会の進歩という点から是とするべきことである。

しかし同時に学生が大学に期待するということでは多極化、つまり一般的に大学教育で言われるユニバーサル化が進む。将来、国の中枢部を担い、あるいは指導的立場になることを求めているごく一部の学生を除くと、「最低限の経費で社会で自らが収益を上げることのできる知恵をつける」ために大学に進学する。すなわち「大衆の反撃時代」にあって反撃の中核となる部隊が、彼らが反撃をする対象システムの中に入ってきたのである

大衆にとって学術や教養は大学に抱くあこがれの一部ではあっても主たる進学目的ではない。特に日本では学生数としてはマジョリティーをなす私立大学において学生や日本に於いてはスポンサーである親は「授業料に見合う実利的な力」を期待している。具体的には「資格が取れるか」「より良い企業に就職できるか」というのが主たる関心事なのである。

さらに現代の日本においてはやっかいで未解決の問題がある。それは「科学技術の進歩によって国民の多くが働かなくても生存できる」という状態に達していることである。石油が継続的に供給され、もしくは核融合型原子力発電が実用化されるとすると、人間の活動を補助するエネルギー源は確保されるので、電子化情報化によって1割程度の日本人が実質的に働くことによって社会全体はきわめて裕福な生活をする時代が到来しつつある。

すでにその兆候はバイトやニートという仕事の状態の方が正規の勤務形態より幸福度が高いという調査結果で示されている。かつて、旧制高校が存在した時代、もしくは戦後の貧困期において日本の学生が大学教育に対して抱いた情熱は純粋に真理や社会のしくみのようなものではなく、科せられた科目についての単位を取得して大学を卒業することであった。

そして「頑張る」ためのモチベーションは基本的に貧困からの脱出であり、社会的に「偉くなる」ことが夢だったからである。しかし、物質が豊富にある時代において社会的に偉い立場になることが、平凡な一市民として不規則な勤務をする人生との比較において目標となるべきことであるかについて結論は得られていない。

特に「人間の急激な活動が地球環境を壊しているから、地球的規模で思考する人間を作るべき」という思考態度に基づけば、活動量が少なく、その中に生きる意味を見いだす人生をより好ましいものとしなければならないだろう。

大学が大衆化されることは望ましく、社会が進歩して働かなくても生存できることが人間にとって望ましいとすると、それによって教育の対象となる多くの集団(学生)に対して大学が人間形成としての教養教育を行う必然性は明確には議論されず、大学がそのような機関に変貌した時期とその理由もまた不明確である。さらに「座学を中心とした教師の教育による人間形成」という手法自体も不明確であり、これが現代の教養教育議論を迷走させる元になっていると考えられる。

 

太平洋戦争に敗戦し、明治以来の高等教育に対する深い反省のもとに書かれた昭和27年の大学教育の検討では、繰り返し「人間形成」の必要性が説かれ、戦前の教育は「教養教育が重視されていなかったから戦争を防ぐことができなかった」という結論が直感的に支持されている)。いわば「単細胞症候群」である。そしてそれは、戦後、1947年に施行された教育基本法、さらに2006年に改正された現在の教育基本法第一条の内容にもなお反映されている

しかし、新制大学において実際に「人格形成のための教養教育」が実施されてみると、学生の学習意欲が低く、加えて教育を担当する教員は大学を掛け持ち学生が卒業する時に「教育が人間形成として効果を上げたのか?」には関心を示さないという異常な事態が続いた。また教養教育を担当している教員から見ると、職業教育を中心とした専門課程の教員から「教養教育は役に立たない」という趣旨で継続的に攻撃を受け、教員が教育のモチベーションをあげることすら難しかった。

もともと日本の古来の伝統、日本人の精神構造からみると、明治時代から今日に至るまでの大学教育システムやカリキュラムは必ずしも十分に考えられたものではない。人間形成に関する日本の伝統的な手法は「修行」を主体として「教育の形」を作り、その上で古典や自然を学ぶに止まった。

頭脳活動を主体として論理的な展開にプライオリティーを置くヨーロッパと、身体活動を主体として感性的に会得することを第一とする日本とはかなり大きな違いがある。学術の本来の活動が「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛翔する」と言われるようにすでに過去のものを整理するのが主であり、それに対して社会の活動が朝から始まり、その準備の為に大学で勉学に励むとすると、その間のギャップは座学ではなく、修行などの身体的苦痛を通じて得られるとも考えられるからである。

このように、日本において教養教育による人間形成の教育が崩壊したのは、「誰も望まず、概念が明確ではなく、時代の変化を無視し、かつ日本の伝統と反する教育内容」が原因であり、「大学教育では教養教育が必要である」という根拠のない仮定に基づいていたからであると考えられる。さらに加えて、現状の大学の教育が、教育基本法から大きく逸脱し)、しかもそのことに教育関係者が気もとめていないという状況のもとでは、まだ日本の教育界は教養教育による人格形成を論じるレベルにないと思われる。

また、たとえ「教養教育が必要である」としても「具体的に、十分な成果を上げうる方法」が存在しなければ意味はなく、また再び60年前と同じ過ちを犯すことになるだろう。従って、意味のある教養教育論を建てる為には、総合的かつ現実的な方法をも探らなければならない。

参考文献

1.     森洋「大学」(『岩波講座世界歴史10』), (1970) 岩波書店

2.     C・H・ハスキンズ著 青木靖三・三浦常司訳『大学の起源』(1977) 社会思想社現代教養文庫

3.     増井三夫, 『プロイセン近代公教育成立史研究』(1996) 亜紀書房 

4.     天野 正治 著 (1993年) 『日本とドイツ教育の国際化』P.324, (1993)  玉川大学出版部

5.     武田邦彦、「世界の大学」トルコ, takedanet.com

6.     British Education Office Home Page (University of Glasgow)

7.     源 了園,「義理と人情」 中公新書 (1969)

8.     オルテガ・イ・ガセット、桑名一博、「大衆の反逆」排水社(1991

9.     大学基準協会、「大学における一般教育」、昭和27

10.  戦後の教育基本法は戦前の教育勅語と一線を画しているとされるが、国家に対する忠誠心などを別にすると、職業的知識の教育と人間形成との関係には大きな差違は見られない。

11.  教育基本法第一条には職業的訓練についてはほとんど触れていない。改正教育基本法7条には専門教育に触れた規定が置かれた。http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/index.htm