縄文時代、彼らは弥生土器を知らなかった。

 弥生時代、彼らは律令制度を知らなかった。

 平安時代、彼らは牛車は知っていたが、自動車は知らなかった。

 

 100年前、「みんなが豊かになって馬車が増えると、馬糞で道路が埋まり車輪が滑って通行できなくなる」と心配した。

 

 今では「年金なしの生活」は考えられないが、年金は1961年に始まり、その時の月の掛け金は100円だった。それまで日本の老人はどうしていたのだろう?と学生は訝る。

 

 その時代にはその時代のしきたりがあり、人間はいつも平気で、繁栄している。

 

 人間の社会は変化する。それは科学でもあり、社会制度でもあり、そして人の心でもある。止まっていることはない。前の時代の歪みをバネにして、次の時代が形作られる。

 

 社会は今の延長線上ではない。

 

 「このまま温暖化が進んだら・・・」、「このままゴミが増えたら・・・」など「このまま・・・」というのはおおよそ実現しないことである。人間には知恵があり、必ず「前の時代」より「よりよい時代」に変わる。その逆は今まで経験したことが無い。

 

 未来を破壊するのは「消費」でも「ゴミ」でも、「二酸化炭素」でもない。「未来を暗く描くこと」である。

 

 「明日までの命」と判って英語を勉強できる人は少ないだろう。人間は将来があり、将来に夢があるから勉強し、頑張り、辛いことを凌ぐことができる。絶望の中で新しい時代を拓いていくことは出来ない。

 

 ゴミ問題などはない。まとめてただ焼却すればよい。温暖化問題などない。まだ平安時代より寒いし、第一、30年も経てば二酸化炭素を出したくても石油が不足して出せない。むしろ二酸化炭素をだすなら今の内だ。

 

 環境問題など無いのだ。本当に環境が問題なら、それは大変だが、そうではない。

 

世を悲観した大人と前向きの政策を立てられない政府が作り上げた幻に過ぎない。それに「額に汗して働きたくない。税金で暮らしたい」という不埒な輩が参加しているだけ。そんな人の為に大切な日本の若者の心を破壊させてはならない。

 

 若者に「将来はない。節約しろ、発展するな、江戸時代に返れ」と言って、何で若者が勉強する気になるだろうか? 

 

 君達の将来は洋々たるもので、どんな社会を作り出すからは君達の力にかかっている。

 

 ただ、時代は今のままではないから、いつの時代でも、切り拓いていかなければならない。そして切りひらいて行くには力がいる。だから自分たちの将来の為に若者は勉強することは大切なのだ。

 

(平成20517日 執筆)