学問は、今、正しいと思っていることを覆すのだということを、経験の少ない人に理解してもらうために一つの例を示したい。
およそ100年前、オランダのオンネスは、低温の金属の電気抵抗がどのように変化するかについての研究を行っていた。よく知られたように金属は電気を通すし、その時にはオームの法則があって、流れる電流に比例して抵抗が生じる。
このことは最初にイギリスの研究者・キャベンディッシュが発見し、その後、オームによって法則化された誰でも知っている金属の性質である。
金属の抵抗は温度が下がると小さくなる。それは金属を作っている原子が温度によっていつも揺れているのだが、温度が下がるとその揺れが小さくなる。原子の間を通る電子は原子の揺れが小さくなった方が通りやすいので、低温ほど電気抵抗が下がると言うことになる。
普通の人はそれで終わりだが、研究者というのは変なもので、低い温度も普通の温度ではなく、マイナス100℃、マイナス200℃、そして更に絶対零度に近いマイナス270℃まで温度を下げて金属の抵抗を測定しようと考える。
この研究を計画したときにオンネスが果たしてどんな考えだったかは判らないが、とにかく彼はあちこちに走って研究費をかき集め、極低温の装置を作って抵抗を測定した。とても実用的とは思えない極低温を今のお金で言えば数10億円を掛けて、作り出し、そこでの電気抵抗をはかる。
オンネスが少しずつ温度を下げて抵抗を測定していたとき、「研究は世の中のためにならなければならない」と考える人が訪れたとしよう。
俗物君:「オンネス君、何を測定しているのかね?」
オンネス:「電気抵抗をはかっています。今、温度はマイナス268℃まで来ました。」
俗物君:「何か新しいことは見つかったね?」
オンネス:「いえ、従来の知見通り、温度を下げていくと電気抵抗が下がっています。」
俗物君:「そうか。じゃあ、何も役に立たないな。金属と言うけれど何を測定しているのだ?」
オンネス:「水銀です」
この俗物君はあきれ果ててオンネスの元を去り、
「あいつは頭がおかしい。膨大なお金を使って低温で電気抵抗をはかっているというから行ってみると、なんと!マイナス268℃で水銀の抵抗をはかっていたよ。バカな奴だな」
といって笑った。
その次の日、オンネスは更に温度を下げて測定しているときに、あの信じられないこと・・・超伝導現象・・・を発見したのである。
それから70年の歳を経た1980年代、世界には4000人と言われる研究者が超伝導研究に取り組み、日本政府は「有望な研究にはお金を出す」といって巨費を投じた。
学問とはそういうものである。それは歴史学でも、経済学でも、そして医学でも同じことで、数多くの「無駄な」研究の中で、たった一人か二人が偶然に新しい現象にぶつかる。それが神の配剤なのか、それとも偶然がもたらすものかは分からないが、ともかく幸運に恵まれた研究者だけが、突然として新しい世界を最初に見ることができるのである。
そして社会とはいつも「俗物君」が活躍するのである。それもまた人間の発展として正常なブレーキ役かも知れない。
もう一つの例を挙げよう。
南極の昭和基地で観測を続けていた気象庁の技官、中鉢繁氏は毎日のように空に向かって観測を続けていた。彼の研究が正確に何であったか、著者は詳しく知らない。ともかく成層圏におけるオゾン層の状態を観測していたことは確かだ。
来る日も来る日もオゾン層を観測していた彼はある日、奇妙なことに気づく。それは成層圏のオゾン層の濃度が、それまで知られていたのと比較して格段に低いことに気がついたのである。成層圏のオゾン層は、約20億年ほど前に長い時間を掛けて生物の呼気が作り出したものである。
それまで太陽の有害な紫外線のために生物は地表ではとても生活していけなかったのだが、このオゾン層ができたおかげで地表でも命を永らえることができるようになり、それが爆発的な生物の繁殖に結びついた。
だから、オゾン層がそれほど簡単になくなったりするはずはない。何しろ10億年近くかけて作り出し、その恩恵で6億年の間生命は地上で繁栄してきたのだから。もしオゾン層が無くなると地表にはまた大昔のように強烈な紫外線が降り注ぎ、生物は全滅するであろう。中鉢氏は観測を続け、そして報告を書いた。
その時、アメリカの航空宇宙局NASAでも人工衛星を使って同じようにオゾン層の測定をしていた。でも彼らはオゾン層の破壊に気がつかなかった。それはコンピュータを使ってオゾンを測定していたNASAは「異常と考えられるデータは自動的にカットする」というプログラムを組んでいた。だから「正常」なデータだけを観測していたのである。
やがて、本当にオゾン層が破壊されていることを知った世界は驚愕し、その原因物質を探して、フルオロカーボンなどであることを突き止め、国際会議を繰り返し、その放出を全面的に禁止した。
このオゾン層の破壊の発見は、学問のなんたるか、学問とはどういう形で「社会に貢献するか」、そして「現在が正しくない」という認識がいかに重要かという本質を見事に示している。
まず、第一に、中鉢氏がオゾン層を観測しているときに「それは何の役に立つのですか?」と聞いたとする。中鉢氏は「観測しているだけです」と答えただろう。当然のことでオゾン層の破壊が予想されれば、最初から大騒ぎになり、全世界が観測しているだろう。
発見というのはそれまで人間の頭にないものを見いだすのだから、予想できるはずはない。とにかくオゾン層を観測してデータを蓄積するだけであり、そこに何があるかは測定してみなければ判らず、ほとんどの学問の研究は、そこに何もないのである。
「役に立つ研究」を強調したら、オゾン層の観測はされていないから、ある時、突然、強力な紫外線に驚いた人類があれよあれよという間にすべての生物が皮膚癌にかかり死に絶えることになっただろう。
「なんの役に立つか判らない研究」の為に、毎日毎日、寒い南極の昭和基地で空を見上げている研究者がいたからこそ、私たちは現在でもこうして生きている。
NASAが「異常なデータをカット」したためにオゾン層の破壊を発見し損なった。これも学問の理にかなっている。
人間の頭脳は今考えていることを正しいと認識する。だから現状が正常であり、それを覆すものは異常である。でも、私たちが現在認識しているものは間違いであるという学問の本質が理解されていれば、異常データをカットするというプログラムは使用しなかっただろう。
もちろん、このことは自然科学だけではない。イギリスの社会学者・ホッブスはその著書「リバイアサン」の中で、「王様に無能な子供が生まれたら、その国の政治をどのようにすればよいか」というテーマを真面目に研究している。
世襲制度が正しかった時代だからそれは仕方がないが、その後、民主主義が誕生して、「民が主」であるという全く新しい概念が誕生すると、そんなバカらしいテーマに取り組む学者はいなくなる。
では、なぜホッブスほどの学者がバカらしいテーマにその勢力を注いだのかというと、民主主義という現代では余りに当たり前と考えられる制度がない時代には、人間はそれを思いつくことができないからである。
人間が歴史的存在であること、そしてその歴史的存在から離れることが出来ないことも、トルストイや田川建三がその著書の中で繰り返し描写している。
(平成20年5月8日 執筆)