多くの日本人にとって「仕事」はとても大切なことだ。あるいは「自分の人生」を決める大きな要素になるし、それが生き甲斐になればその人の人生は充実したものになるだろう。

 

 それほど大切な仕事の場・・・その多くが企業なのだが・・・はほとんど改善が見られず、もしかすると江戸時代より劣化しているのではないかとも思われる。そして日本人の幸福のために邁進するはずの政府は日本人の「仕事」と「やりがい」についてほとんど関心を示していない。

 

 江戸時代、多くの職人も農民も自分の仕事を天職と考えて、それに打ち込んだ。職人は仕事の終わりを「時間」では決めずに、「できばえ」で決めたという記録は多い。

 

 もし、仕事が本当に自分の仕事になっていれば、5時が定時だから、4時50分になるとそわそわする、と言うことはまったく見られないはずだ。その日に自分がやるべきと考えた仕事はその日にやるだろう。

 

 ところが、欧米の「会社」という考え方が入ってきて、そこに働く従業員は「人」ではなく「物」として扱われるようになった。たとえば「従業員の時間を資本家がお金で買う」という考え方である。

 

 「時間」と「お金」の交換は合理的のように見えてまったくの錯覚である。その理由は「人間は物ではない」という一語に尽きる。人間の時間はお金では買えない。仕事の成果は契約によってお金で買うことができても、時間はその人本人のものである。

 

 産業革命を通じて一般化したこの「時間売り」の考え方が、人間扱いされない労働者をうみ、多くの日本人がヨーロッパ人に対して断然、幸福な人生を送ることができる原因を作った。

 

 それは少し前のものに示したように、日本とヨーロッパのほぼ同時期の庶民の描写で判る。

 

【日本】

「日本人は皆よく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。・・・これがおそらく人民の本当の幸福の姿と言うものだろう。日本は他の国と比較して、「質素と正直」に満ちあふれていて、それが、彼らの生命と財産の安全を保ち、すべての人々は質素で満足している。」

 

【ヨーロッパ】

「労働者には床から水があがってくる地下室か、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。粗悪で、ぼろぼろになった衣服と、粗悪で消化の悪い食料が与えられる。彼らは野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。」

 

 人を人として扱う文化と、人を物として扱う文化の差が明確に描写されている。そして現代の日本の会社はほとんどヨーロッパに近い。出勤時間や退勤時間は決まっていて、命令書が氾濫している。

 

 そんな中で職場では人間関係に悩む人が多く、自分の仕事を天職と感じたくても感じられない人も多い。人生の多くの時間を費やす仕事の時間をいかに充実した時間とするか、それは雇用主としてもっとも大切なことであり、政府が力を入れることである。

 

 でも、会社は従業員にお金を渡せばよいと思っている。その方が安直であるし、従業員を人と見ていないのだから当然でもある。政府は企業の収益に気をとられ、「仕事を使命とする立派な日本人」という概念すらない。

 

 仮に、新しい組織体の概念が誕生し、人の時間をその人の物として扱い、それでいて会社としての収益を上げるような仕組みができたら、多くの日本人の「仕事」は「使命」になり、その人の人生は更に充実したものになるだろう。

 

 「使命」には出勤時間も定時も、そして定年もない。そして私は、人間は仕事をする存在ではなく、使命を持って生涯を送る存在であり、それを阻害しているのはヨーロッパ文化であると考えている。

 

(平成20430日 執筆)