講演会を終わると、時々、次のような質問を受ける。

「本当のことは、何を見れば知ることができるのでしょうか?」

 

 この情報時代にあって、あふれるほどのテレビ番組、新聞、雑誌、そしてネットまで揃っているのに庶民の悩みは深刻だ。

 

 最近のことで私が強く感じたのは、守屋前防衛省次官が逮捕されたときだ。逮捕容疑に上がっていたゴルフ接待や海外旅行、それに伴う省内での守屋容疑者の発言・・・テレビや新聞で報道された事実はあまりにも明白であった。

 

 これほど明白に、そして詳細に判っているのに、なぜ「逮捕」までまったく報道されなかったのだろうか? 「逮捕」というのは国家の行うことであり、報道はそれとは独立だ。だから、「逮捕されたから報道して良い」ということはない。報道は報道として判断し、報道すべきだからだ。

 

 「国家がある人を逮捕したから報道できる」というなら報道の自由を自ら放棄したことと同じだ。もし報道が「何を報道するか」について国家の判断によらないなら、逮捕の前にも報道しなければならないし、逮捕されても容疑に対して報道が疑問なら、報道すべきではない。

 

 年金問題の時にも同じ感想を持った。テレビや新聞社には「年金担当」という人がいた。NHKでは従来から繰り返して年金問題を少子化との関係で詳細な番組を組んでいた。

 

 その人たちは年金を取り扱っている機関や人とのつきあいがあるだろうから、「5000万人(国民の半分)」の年金がやや不明であることは知っていたと思う。

 

 それが「国会で取り上げられたから報道する」というのでは心許ない。国土交通省の道路財源の放漫な使い方も、ガソリン税が国会で議論されるまで、どうして表面化しなかったのだろうか?

 

 それは環境問題でも同じである。ペットボトルの「リサイクル率」が一度も公表されていないことに気がついた人はほとんどいなかった。リサイクルの主体団体から発表される「官製報道」だけに頼っていたのではないかと思う。

 

 紙のリサイクルもそうだ。一年ほど前から製紙業界の中では「このまま偽装を続けるのはまずい」という意見があった。それは取材を通じてテレビや新聞の記者にも情報が入っていたはずである。なにしろ大きな製紙工場で大規模に偽装しているのだから、判らないはずはない。

 

 でも報道はされなかった。だから講演を聴いた人から「なにを見れば良いのでしょうか?」という悲痛な叫び声が聞こえるのも当然だろう。

 

 ここまで論を展開すると、日本のマスメディアが自ら判断していないという結論に達するが、必ずしもそうとも言えない。

 

 テレビや新聞の人と話していると、彼らは実に真面目でよく働いている。だから、サボっているから報道されないというのではなく、なにかシステムが悪いと考えた方がよいように私には思える。

 

 たとえば、リサイクルなどでは「ワイロ性研究資金」の存在が追求されなければならないだろう。抗生物質タミフルの副作用に関する委員会の時にタミフルの研究でお金をもらっていた研究者が排除されたのと同じである。

 

 当然のことであるが、リサイクルでお金をもらった研究者がリサイクルを悪く言うはずもない。まして紙のリサイクルで研究費をもらった人が紙の偽装を発表する可能性はまず無い。

 

 もし、お金のメリットを得ても職務が正常に行えるなら、守屋容疑者は逮捕されないはずである。いくらゴルフ接待を受けても「日本の防衛の為に、正しいことは正しい」とすればよいのだから。

 

 新聞記者がリサイクルの取材をするときに、ほとんどの場合、「リサイクルでお金をもらった研究者」に取材する。だからその結果は決まっている。そのことが現在でも起こっていて、それが地球温暖化である。

 

 地球温暖化の研究では「温暖化が進み、二酸化炭素を抑制しないとひどい目にあう」という研究にしかお金は出ない。事実、先日の報道では国から「温暖化は危ない」という研究に20億円をもらっている先生がコメントを言っていた。

 

このような状態では、私のような専門家でもなかなか正確にデータを見るのは難しいし、庶民やマスメディアの方はまず「何が本当か」を判断できない。

 

 結局「お金をもらっている偉い先生」の言い分をそのままテレビに流した方が無難だということになってしまう。そのコメントがどんなにおかしくても、「権威のある先生」がお話になったのだから、記者としてはそれを記事にせざるを得ない。

 

 「お金をもらっていたら第三者として発言しない」ぐらいの倫理観を専門家はもってもらいたいと私は思う。研究費はワイロではないが、コメントを求められるとその時点でワイロ性を帯びる。

 

もし専門家が自制すれば、少しは日本のマスメディアが報道することが事実に近づくだろう。

 

 もう一つは、マスメディア自体が窓口取材をしないで、自らが取材することだが、これは時間的制約や予算などで現実的にはなかなか厳しい。だから、私は専門家の自制が正しい報道のためにはもっとも大切のように思う。

 

(平成20422日 執筆)