余り大したことではないのですが、リサイクルなどの環境に関係する行為にかかる負荷として「人件費」があります。これを私が環境負荷の中に入れているので、「環境と経済は違う」と錯覚して反論される人が多いので、読者の皆さんのために、一言、この簡単な内容について触れておきたいと思います。

 

 結論から言いますと、「人件費を入れて計算する」のは「環境を環境として考える」という時にやり方で、「人件費を除いて計算する」というのは「環境を経済や政治と絡ませる」という方法であり、私への反論はちょうど、反対になっています。

 

 たとえば、ペットボトルのリサイクルにどの程度の環境負荷がかかるかの計算では、これを純粋な環境問題として捉えた場合には「ペットボトルのリサイクルに資源をどのぐらい、使うか」ということだけをまず計算します。

 

 「環境」は人間も含めた自然に対する影響をまず計算しなければなりません。その時に、「ある人が失業しているから」という事情を加味すると環境の計算としては失格です。

 

 そこで、ペットボトルのリサイクルにかかる経費の内、人件費、ガソリン代、電気代、収集のトラック、市役所でリサイクルのために占有している机などすべてを計算します。

 

 なぜ、人件費を入れるかというと、その人件費を受け取った人は、それを必ず使うからです。お弁当を食べたり、テレビを買ったり、貯金をしたりするためにお給料をもらっているからです。

 

 貯金したお金はすぐ会社などに貸し出されて「環境負荷」に変わりますから、それもお給料をもらった本人が使うか、そのお金を借りに誰かが使うかの差だけです。

 

 お金を使えば、必ずその分だけの資源(エネルギーを含む)を使います。20年ほど前、環境問題が最初に関心を持たれた頃は、「高くても環境の為には」という人もおられたのですが、次第に「お金がかかるものはそれだけ資源を使っている」という単純な関係に気がつきだしています。

 

 月収が100万円の人は高級乗用車に乗り、冷房の効いたホテルで食事をするでしょうし、10万円の人は歩いてコンビニにおにぎりを買いに行き、家で食べるでしょう。どちらが資源を多く使っているかは計算するまでもありません。

 

 また、人件費を入れない計算には大きな欠点があります。もし、誰かが作為的に「環境負荷を小さく見せよう」と思えば、最初だけ、機械を使わずに全部、人手でやれば環境負荷はゼロになってしまうからです。

 

 たとえば、ペットボトルのリサイクルの場合、家々からでるペットボトルを人が集めに来て、それを自治体まで持って行き、そこから先もすべて人手でやったら、ペットボトルのリサイクルには何も資源は使わないという変な結論になります。

 

 また、もう一つ、別の問題もあります。

 

 人によっては「物事の裏のもの」にあまり関心が無い人がいます。たとえば、「東京と名古屋の間の運賃は1万円だが、グリーン車は4000円だ。グリーン車に乗っても4000円分の資源を使うわけではないから、お金と資源とは比例していない」というような例です。

 

 確かに、グリーン車に乗っても、見かけ上は少しシートが大きいだけですから、グリーン料金は単に「贅沢だから差別をつけるだけ」と錯覚するのです。

 

でも、グリーン車にかかる資源とは、1)座席の専有面積が大きいことによって生じる輸送負荷、2)アテンドする乗務員を増やすための負荷、3)高価な車両を作るための負荷、3)そもそもグリーン車というものを置くための経費 などがあり、それらの合計が4000円なのです。

 

 もし、JRがグリーン車が4000円もしないのに不当に4000円を「贅沢するからとる」という理由でとる料金体系ならそれは不適切ですが、そうではありません。

 

ズルをすれば別ですが、経済活動というのはそもそもその目的にかかった経費に正当な収益を乗せるものであり、もし2000円ですむグリーン車を4000円もとっていたら、それは正常な経済活動ではありません。

 

 私たちが環境のことを考えるとき、まずは「社会があることを正常に行ったら」とか、「犯罪は別にして」としないと計算は不可能です。まずはそれをして、その後に特に犯罪が起こりやすければそれを加味するということです。

 

 事実、リサイクルで私と対決する人で、「失業対策のためにリサイクルをしているのだ」というようなことを私には言いますが、社会に向かっては「人件費は除くべきだ」と違うことを言われます。

 

 このように、環境負荷は人件費も含めた全体の経費にほとんど比例しています。だから、「人件費を計算する方が環境だけを考えている」ということになるのです。

 

 私のリサイクルの負荷計算を「経済活動と環境とは違う」と言われている人の多くは、実は人件費を入れる方が純粋に環境負荷を計算できるということは知っているというところにも、この問題の根深さがあります。

 

 この文を書いているときに「新型インフルエンザ・ワクチン」の予備的摂取を医療関係者6000人を対象に行うという新聞記事が出ていました。まだ新型インフルエンザが誕生していないのですから、現在の鳥インフルエンザのものを使うのですから、予防の意味は少ないのです。

 

 本当の理由は、「副作用を確かめる」というところにあり、それは裏の理由になっています。

 

 今まで日本は民主主義と言っても、それは形ばかりのことでしたが、これから本当の民主主義になるためには「偉い人が、知り合いにそっと本当の理由を言う」というこれまでの風習を打破しなければなりません。

 

 リサイクルでも温暖化でも、社会で報道されていることと別のことをお話になり「そのぐらいは知らなければいけない」と言われますが、私はそのような民主主義は受け入れないことにしています。

 

(平成20419日 執筆)