「資源は節約すべきだろうか?」
こう聞くと誰もが「節約すべき」と答える。でも、この回答には歴史的な模範解答がある。
明治30年、山口県宇部の渡辺祐策は沖ノ山炭鉱を開いた。一般的には宇部の炭鉱として知られているものであり、海岸線を少し陸地に入ったところに抗口があり、陸地から徐々に海底の方に掘り進んだ。
日清・日露戦争まえのことである。長い鎖国政策から世界に開かれた日本は絶え間なくかかるヨーロッパやアメリカからの外圧と戦い、必死で独立国の道を築いていた頃だ。
列強との戦いはやがて太平洋戦争にとつながるが、もしどこかで戦いを緩めたら日本は植民地になっていただろうから、今の日本の繁栄も考えられない。
まだ石油の利用が始まる前だったから、エネルギーと言えば石炭であり、幸いに日本には九州、北海道を中心として地下ではあるが石炭が埋蔵されていたので、それを掘り出してエネルギー源としていた。
渡辺祐策が宇部で沖ノ山炭鉱を開いたのはその頃だったのである。努力家の彼は小学校から師範学校へと進もうとしたが幼年で両親を失った彼は十分な教育を受けることができないままに仕事についた。
でも生来、立派な人物だったのだろう。炭鉱を開き、住民を参加させ、そして次の重要な思想を築いた(文章や用語は明治時代の物であるため、私が少し変えている。)
・・・石炭は有限のものだ。掘っていればやがては尽きる。だから、石炭を節約するのではなく、石炭がある間に、その富で無限の技術に転換しなければならない・・・
「有限から無限へ」
それこそが「子孫に残すべきもの」であると彼は考えた。
現代、石油の枯渇が迫ってくると「資源を節約しよう」との大合唱が聞こえる。でも、あと50年の資源を一割節約しても、枯渇するのが5年、遅くなるだけだ。
時代は「節約」では拓かれない。むしろ祐策が考えたように、資源を節約せずに使い、次の時代のものを創造していくことこそ「人間としての考え方」なのだろう。
人間の文化や科学は一所に止まっていることはない。100年前には自動車も航空機も、もちろんパソコンもなかったように、たった100年でも様変わりするのが人間社会である。
そして、考え方の相違による結果は明らかであった。
節約や補助金に目を向けた九州の炭鉱、北海道の夕張などの町はすでにその輝きを失っているが、宇部は見事に「有限から無限」への転換に成功し、現在でも宇部の市民は繁栄している。
模範解答は「節約」ではなく、「活用」なのである。
「子孫に残すもの」とは現在の私たちが使っている資源そのものではなく、その資源を使って人間の知恵で生み出された次世代のものなのである。
私は「もったいない」も「愛用品の五原則」でも、節約を訴えているのではない。感謝する心がもったいないであり、愛する品々で囲まれた生活が愛用品の五原則だ。節約はその結果として表れてくるもので、行動の目的ではない。
社会の舵取りは「常識」では失敗する。むしろよくよく考え、一見してその社会では非常識と思われることこそ、私たちの子供の繁栄を約束する。
(平成20年4月16日 執筆)