私の書籍を読んだ読者の方が、他の方から批判を受けることがあるようです。批判の内容のほとんどは「分離」「資源」というような学問をよく理解していない場合と、「学問の自由」を少し取り違えているように感じられますので、あまり反論の必要はないと思います。

 

環境関係には研究費、税金、補助金などの多くのお金が流れており、それを受け取っている人にとっては批判は困るのでそれを防ぐという意味もあり、反撃が強いものと考えられます。

 

でも読者の方が苦労されているのを感じますので、ネットをお借りして少しご説明を加えておきます。説明の前に、2,3の前提をお話ししておきます。

 

まず、私が何の利害関係も無く、単に学問的な結論に基づいて書籍を出しているということです。強い利害関係がある場合、本人がかなり平静であっても、中立的立場をとることは困難です。

 

これは守屋前防衛省次官の例でも判るように、「ゴルフの接待を受けても私は中立だ」と弁明してもそれは認められません。だから、環境関係で研究費や補助金をもらっている人、過去にもらった経験のある方は、まずそれを示してから批判するのが倫理的には正しいと考えています。

 

従って、たとえば自治体の人が「武田はおかしい」と言うことはできないと私は思っています。自治体の人は辛いでしょうが、当事者なので私の批判ではなく、市民から求められたデータを提供することで我慢してください。

 

また、私の書籍の一部の批判に「SWU(分離作業量)は原子力で使うものであり、分離工学ではない」というようなものがありますが、これは単に批判者の知識不足に類する物で、この種類のものは特に説明しておく必要が無いと思います。

 

人の批判は真摯で真面目なものでなければなりません。私の言う「日本人の誠」が必要です。まったく分離工学を知らない人がSWUの批判をしてもそれは意味がないからです。

 

SWUというのは分離工学の中心的概念の一つで、「原子力の概念をリサイクルに持ち込んだ」のではなく、まったく反対で「原子力の技術の中で、分離工学に類する領域では、SWUを使用する」と言うことであり、理解が逆転していますが、それは勉強されていないので、仕方がないと思います。

 

また、私の書籍のことを「センセーショナルな環境本」と言われることがありますが、「センセーショナル」というのは具体的にはどういうことを意味しているか難しいところです。このようなあまり情緒的な批判は前向きの結果を与えません。

 

センセーショナルというのが「常識と異なる」という意味では私の書籍はその通りです。学者は常識をそのまま書くことはできません。また、本が売れたという点では、結果論であって、本を書いているときに「売れること」を予想することはできません。

 

おそらく、センセーショナルという情緒的批判は、社会が私の書籍を「センセーショナルに受け取った」ということでしょう。それは本に新しい内容を含んでいたということなので、良い結果と思います。

 

実は、他の方から頼まれてある環境に関する書籍を見させていただきましたが、その書籍には「公的に発表された数字」、「これまで報道されたこと」が正しいとしているので、従来の公的発表や報道とほとんど同じデータが示されていました。

 

もっぱら啓蒙を目的としているものは別にして、研究をして書籍を発表するにはその中に従来とは異なる著者のデータなり、考え方が入っているわけで、それは「官報や公的発表」などと違う内容だからこそ社会的価値があります。

 

最近では社会保険庁の年金や多くの偽装問題で判るように、社会は権力や利権で事実が伝わりにくいことがあります。そのために長い歴史を経て「報道の自由」や「学問の自由」という権利が誕生し、それは主として「反政府、反権力、反利権」という立場をとります。

 

その点では私は現在のNHKは「報道機関」ではないと認識しています。日本が真の報道の自由や学問の自由、そして他人を人格的に批判しない言論の自由が確立されるまで、まだ少し時間がかかるのでしょう。

 

私たちは「正式発表」には毎日のように接することができます。日本の報道機関はまず政府の発表を最初に言うという習慣がありますが、それは「何が事実か」ということを報道機関自身が判断できないことによっています。

 

そこで、書籍や講演などは通常、接していない情報に接して、それを知った人が自ら判断することが大切でしょう。

 

(平成2049日 執筆)