「身土不二」という。体と土とは同じものだという意味の中国の言葉で、原典は長い漢文の中にある。

 

それは真理であり、私たちは環境の中に生きると言われる。確かに昔の人の知恵だから事実だろうと私は思う。でも、それをそのまま信用するのもためらわれる。私がもし人に話すのを仕事にしていなければ、「身土不二」に信念を持って生きることができる。

 

でも、私は学生に教え、人に話をすることがある。そんな時、自分の信念だけではダメだ。万が一でも間違っていれば、人に迷惑を掛ける。

 

 そこで私は、「身土不二」は近代科学でも正しいのか? 中国だけの言葉ではないのか?という疑問を持って話すのは控えてきた。一般に「身土不二」ということを大切にしている人の多くは直感で生きておられて、その価値を協調されるが、根拠はその方の僅かな経験であり、時に直感である。だから、それを万人に勧められるとは限らない。

 

 疑問を感じている内に、「人体の元素の研究」というのを知った。人体はタンパク質、脂肪や骨でできているが、それは「体を構成するもの」であって、「生活するために必要なもの」とは少し違う。

 

 コバルトは血液を作り、亜鉛は舌で味を感じるときに必要である。おそらくは毒物と言われる鉛も水銀すらも体のどこかでは使われ、人間が生きていく上で必要なものだと思うが、コバルトや亜鉛のように「過度な規制」で人体に不足して障害がでたような具体的な例がないと、科学的な証拠を示すことができない。

 

人間の命を守るもの、それは鉛であり水銀である。それを原口先生がご研究になったグラフは示している。

 

 原口先生の図.jpg

 

グラフの横軸は海水中の元素の組成、そして縦軸は人間の体の中の元素の組成である。少し比例していない元素もあるが、おおよそは一致している。

 

生物は海から誕生してきた。だから海にある原料を使って体をつくり、生活をしてきたから海の元素と人間の体の元素が似ているのは当然だろう。

 

「身土不二」ならぬ、「身海不二」はその意味では当然かも知れない。

 

そして、海の生物はやがて陸に上がり、死すればその元素を陸に残し、そしてまた陸の作物を栄養としてとって生きていく。陸の元素の組成は場所によって違うから、上のグラフのようにはきれいな関係が得られないとは思うが、基本的には納得できる。

 

「身土不二」と言い、自分が住んでいるところから10キロ四方の作物を食べるのが健康に良いと言うことは科学的にも裏付けられるだろう。まだ、とても完全に証明できているとは言えないが、どうもそのようである、と言うぐらいは言える。

 

日本は食糧自給率が低く、日本のお母さんは子供に遠い国の食物を食べさせている。そんなことで身体強健な子供が育つとは私には思えない。なぜ、レジ袋追放が環境問題で、子供に外国のものを食べさせるのが環境問題ではないのか、私には疑問である。なにかスーパーの陰謀のようにも感じられる。

 

スーパーはレジ袋をタダで渡すのを嫌がっていた。それがレジ袋追放で、マイバッグと有料ゴミ袋を売れるようになったのだから、スーパーの作戦成功である。そして外国の食品を売る。

 

日本は下水道を整備し、完全に道路を舗装した。その結果、排泄物は処理され、循環しなくなった。すでに日本の海岸線は「海焼け」が起こり、海辺の生物の陰は極端に少なくなっている。

 

「環境によい」という用語は、考えられないほど浅いレベルで使われているのではないか。私たちがコバルトも亜鉛も、そして時によっては鉛や水銀すらも必要としているということも知らずに、ただ「見かけ上、きれいなら良い」とか「毒物と法律で決まっているものは毒物だ」と言うことで満足している。

 

子供は将来、苦しむかも知れない。親の子供に対する責任は「知らなかった」ではすまされないように思う。

 

(平成2046日 執筆)