私の友人にはドイツに生活し、ドイツ語が堪能な方が多くおられる。その方々は決して心が狭くないし、全体を見る力も持っておられる。どこから見ても立派な人格者だ。
ゲーテ、ベートーベン、そしてヘーゲル・・・私の人生に大きな影響を与えた偉人にはドイツの人が多い。その作品や思想は素晴らしく、人類の至宝でもある。
しかし・・・
今から60年間に起こった太平洋戦争。その前夜、日本はドイツを尊敬した。時あたかもヒットラーが登場してヨーロッパを席巻していた頃である。
「民主主義などは劣った制度だ。全体主義こそこれからの国家体制に違いない。ドイツを見れば判るじゃないか。フランスも占領されたのはグズグズ理屈をこねているからだ」
と主張し、日本の文化人はドイツを褒め称え、政治ではヒットラー政権と連携を深めた。
第二次世界大戦が始まり、緒戦こそはドイツが勝ち進んだものの、やがてソ連戦で躓いていた頃、日本は情報統制が行われ、局地戦におけるドイツの敗北はほとんど報道されなくなった。
一度、偉そうに言ったこと・・・「ヒットラー・ドイツが正しい」ということを訂正することができなかったのである。そして日本は戦争に突入し、310万人の犠牲者を出し、多くの子供たちがその将来を失った。
現代、またそれが繰り返されようとしている。
環境というと必ずドイツが出てくる。時にはこの世界にはドイツ以外の国はないのかと思うほどドイツである。
リサイクルと言えばドイツ、デポジット言えばドイツ、そしてペットボトルのリユースと言えばドイツである。
「それではフランスは?スペインは?」と私が質問しても、専門家すら口を開かない。戦前と同じように、日本の知識人がすっかり「環境ドイツ病」にかかってしまったからだ。
ドイツは閉鎖的な海域である北海に面していて、河川も国際河川が多い。原子力発電所は動いていないが、フランスから原子力発電の電気を多く購入している。ドイツの環境はまったく日本と異なる。
環境が日本と似ていると言えば大西洋に面し、比較的気候が温暖なスペインなどであるが、環境関係の専門家は見向きもしない。日本の九州や沖縄県はスペインよりまだ気候が温暖だから、環境を考えるときには、ドイツはもちろん、スペインすらあまり参考にならないのだ。
環境とは「気候、風土、地形」と切っては切り離すことができない。月の基地でリサイクルしていようと、風車で電気を起こそうと、それは四面を海に囲まれた温帯の島国である日本とはまったく違うのである。
ドイツに罪はない。でも、なんで日本人は「ドイツ、ドイツ」というとひれ伏すのだろうか? 私は一種の「茶髪主義」だと思うし、白人コンプレックスの用にも感じられる。
自分のことは自分で考えればよいのだ。「ドイツはリサイクルしている」、「ドイツはデポジット制だ」、「ドイツは製造者責任だ」、「ドイツはリユースしている」、「ドイツは風力発電だ」、「ドイツはビールだ、ワインだ」、「ドイツは・・・」。網いい加減にしてもらい、「なぜ、ドイツなのか」を説明して欲しい。
今、ドイツはリサイクルを反省し、ゴミの焼却に向かっている。もともとヨーロッパには「焼く文化」はなく、それは日本の物だった。そうなると、戦前と同じように情報は統制され、ドイツのリサイクル率の実態すら報道されない。
(平成20年4月5日 執筆)