2007年3月28日、経産省は企業が出している二酸化炭素の量を公表した。一位が東京電力、二位がJFEスチールだそうである。そして、業種別に二酸化炭素の排出量に制限を掛けるための基礎的な資料にすると言う。
この事件は簡単のようでなかなか奥が深い。環境問題をごまかすときに政府が今まで使ってきたトリックがよく現れているからである。
政府は今まで「あなたには何ができますか?」と国民に呼びかけ、「節電しましょう」と勧めてきた。それは「電気を使うと二酸化炭素がでます。そしてその責任は使う方にあります」と言っていることを意味している。
また、同じ政府は「二酸化炭素の排出量が減らないのは、民生用・・・つまり家庭で使う電気が減らないからで、産業界はずいぶん省エネを進めてきた」とも言ってきた。
日本の二酸化炭素の排出は「電気を使う家庭」に問題があり、家庭から求められれば電気会社は石油や石炭を炊かなければならない(供給責任)から、責任は家庭にある、政府はと言い続けてきたのである。
それなのに正反対の発表をした。その意図はどこにあるのだろうか?
東京電力には供給責任を求め、家庭に節電を呼びかけ、そして東京電力の二酸化炭素排出量を発表するのはどういう意図だろうか。直接的には業種別規制の下準備だが、実際には別の意図が隠されている。
でもこの問題のうらをあまり書きたくない。話が暗くなる。それより少し前向きに話を変えたい。
まず第一に、政府には「日本人の誠」に立ち返ってもらいたい。仮に家庭の電気を減らそうと言うなら、(私とは意見は違うが)あくまでもその方向で進めてもらいたい。
ご都合主義という点では税金に似ている。
「道路を造るための暫定的な税金」が取れそうになくなると「どれでも使える一般的な税金」に切り替えたいというのと似ていて、目的はただ言っているだけ、本当はお金だけが欲しいというのが見え見えで、あまりにもご都合主義である。
道路を作るための暫定的な税金である。「道路」で取れなくなると「環境」でとろう、というのは誠実さが無いと言うより、むしろ卑怯といっても良いぐらいだ。
二酸化炭素の排出もまずは誠実さを求めたい。
二番目は、計算方式の問題だ。実は「リサイクルが有利」という計算には、この二酸化炭素の排出と同じ間違いをしている。意図的かもしれないが。
二酸化炭素を出す原因は石油や石炭などのエネルギーを使うからだが、その原因を「使う企業」につけると「エネルギー産業や素材産業がエネルギーを多く使っている」という結果になる。
政府やその機関が発表する結果はそうなっている。
つまり電気を使う方(家庭)が二酸化炭素を出しているのではなく、電気を作る方(電気会社)が出していると言う解釈だ。これはどちらでも言えるので、都合の良いときには使う方、都合が悪くなったら作る方と逃げ回ればどんな数字も出すことができる。
リサイクルにはどのぐらいのエネルギーや資源を使うかという計算では、リサイクルに直接的に使う物や、リサイクルに携わる人が使う物の「エネルギー」はそれを作る方(メーカー)が使うエネルギーであり、リサイクルに使ったエネルギーではないと計算する。そうしているので、リサイクルに使うエネルギーはものすごく少なくなる。
つまり、家庭でどんなに電気をつけていても、「二酸化炭素は電気会社が出している」という計算をすれば、家庭からはほとんど二酸化炭素が出ていない計算になる。
ところが、リサイクルで税金を取ろうとするときには、ゴミを捨てる時のエネルギーは大きくしなければならない。そこで「ゴミを捨てる為のエネルギーは使用側につける」として計算する。
都合の良いように計算をするということだ。だから数字はいかようにもなり、リサイクルに使うエネルギーはゴミを焼却するエネルギーの数%などという荒唐無稽な数字になる。
それでは「リサイクルなら400円、焼却なら40円だが、リサイクルの時に何を買っているのか」と質問しても答えない。計算にトリックがあるからだ。
この計算方式は環境全体に見られる。たとえば太陽電池のペイバックタイム(どのぐらいで太陽電池から発生する電気が装置のエネルギーを回収できるか)という計算では、太陽電池を作るときや蓄電器、変電機などを製造したり運搬したりするエネルギーは全部、製造会社や運搬会社につけて、太陽電池側にはつけない。
でも外から見ると、計算した人がどれを製造側につけて、どれを太陽電池側(使用側)につけているのか判らないので、結果はペイバックタイムが3ヶ月と言うときと、30年という計算がでる。計算する人の目的にそって数字が出るのだから、科学的にはまったく意味のない計算である。
二酸化炭素の排出は使用したときに発生する。だから、電力会社やスチール会社の排出量をだしてもまったく意味がないが、政府としては意味がある。それはある時には電力会社側、ある時には家庭側で計算すれば、おおよそ300倍ぐらい違う結果が出るからである。
それができるようになったのが、実は2007年3月28日なのだ。この日を境にまた日本の計算の一つが民主主義を離れて、誤魔化し計算になった。
目的のためには人をごまかす、それも政府がするようなイヤな時代になったものである。
(平成20年4月4日 執筆)