ここまで「幻想の時代」を書いてきて、まだその証明もできていないのに、「迎合の時代」としたくなった。幻想を生んだのは「迎合」だったような気がしてきたからだ。

 

 ゴミ箱(廃棄物貯蔵所)が満杯になるから大変だ!と言うところから始まって、リサイクルに至るまで、あまりに幼稚な判断が続いているからだ。幻想というよりもっと簡単な「迎合」だったのではないか?

 

 ゴミ箱が一杯になるなら、焼却すれば体積が10分の1以下になることはよく知られていた。プラスチックが燃えることも当然であるし、もし温度が高くなれば材料を部分的に変えればよい。

 

 まさか、ここまで工業が発達していて、石油や石炭をドンドン炊く炉や、セメント工業が盛んなのに「焼却炉の温度を上げることができない」などということを本気で信じる人もいないだろう。

 

 おまけに、ダイオキシンは有機化合物だから、これも1000℃以上で分解しないと考える方がおかしい。つまり、ゴミを燃やせばゴミ箱の問題は解消するのをみんなが知っている。

 

 それなのに、焼却できないからリサイクルをしようと言うことになった。おそらく、まったく知識のない主婦層に迎合したのだろう。迎合したのは政治家、自治体、環境運動家、専門家、学者、記者・・・だったのだ。

 

 一億迎合時代・・・誰も彼もが、科学的事実より迎合が好きで、信念も職業的専門知識も捨てるのに吝かではなかった。それが「リサイクルの動機」だったようだ。

 

 そうして考えてみると、現在の温暖化も同じかも知れない。

 

 すでに京都議定書は日本しかやっていないことは明らかで、もとから温暖化は「世界の国が一致して行動する」のが決め手だから、日本だけが削減しても気温の上昇は全く変わらない。

 

 やっても意味のないことに首相以下、血の道をあげているのだから滑稽だ。

 

 また寒冷化ではないのだから、日本は気温が上がって良いことだけだ。農作物も収穫が増え、生活は楽になる。一年に暖かいところにすむことにあこがれて職業が十分にない沖縄に三万人も移住する。

 

 冬に吹雪に悩み、屋根からの雪下ろしが大変な北陸の日本海側は人口が減りつつある。だから温暖化は日本にとって、そして特に寒冷地域に住む人に取って良いに決まっている。

 

 それでもみんなは温暖化を恐れている。本当に恐れているのだろうか?それともある程度の数の人が「怖い」と最初に言ったものだから、それに迎合しているだけではないか?

 

 日本人は真面目で協調性が有り、人柄が優しく、思いやりが強い。それが行きすぎて何でも迎合したくなるのではないか?

 

 太平洋戦争で多くの人が犠牲になったが、本当は「戦争をする必要がなかった」。それでもみんなが戦争をしたくなったのは、集団的なヒステリー現象か、もしくはあまりにも思いやりが強く、「あなたが戦争をしたいのなら、その是非は問わずに戦争に協力します」ということなのだろう。

 

 おそらく、現代の日本が世界でただ一ヵ国だけ京都議定書を守ろうとしているのは、この迎合精神らしい。

 

 自分で目の前のことの是非を考えずに、ただひたすら「みんなと同じことをしたい」、「みんなが良いと思うことを、自分の良いと言いたい」という迎合精神だ。日本人は日本人の誠を失って、迎合になった。

 

(平成2031日 執筆)