科学的に間違った情報・・・「プラスチックは燃やせない」という誤解はなぜ、日本社会に定着したのだろうか? 

 

 実はごく最近、2007年に私は驚くべき体験をした。あるラジオ番組に出演していたとき、女性のアナウンサーが「えっ!プラスチックって燃えるんですかっ!」と驚いたことだ。

 

 テレビやラジオで女性アナウンサーが驚いてみせるという演技はあるが、その時は本当にプラスチックというものは本当に燃えないと思っていたらしい。その女性アナウンサーは東京に住んでいること、東京ではプラスチックを「燃えないゴミ」に分類していたからだ。

 

 番組はそこでいったん、ケリをつけて話題を変えた。

 

 東京都がゴミの分別をはじめるとき、プラスチックを「燃やさないゴミ」と呼ぶのが普通だった、何かの理由・・・たとえば名前を付けた専門家が本当に学力が無かったか、政治的に怪しげなことがあったかのどちらだが・・・で間違った名前をつけたのだ。

 

 「心が素直な都民」はまさかお上がウソをつくとは思いもよらないので、プラスチックは本当に燃えないと間違って覚えたのである。

 

 「教える」というのは難しいことだ。まず、「他人の受け売り」はダメだということである。テレビの報道をそのまま受け売りして、それが間違っているときに「テレビ局の責任だ」などといって逃げるわけにはいかない。

 

 「教える」というのは、相手が自分の言ったことを信じて行動しても良いということであり、それで得をすることがあっても「間違っていたから損をする」ということでは教える価値が無いからだ。

 

 つまり、少しでも社会的な地位のある人は自分の責任で常に正しいことを言わなければならないから、プラスチックは「燃えるけれど燃やさない」と正しく言わなければならない。もし、「燃えない」と思ってストーブの近くに持って行ったら火事になるかも知れないからである。

 

 プラスチックを「燃えないゴミ」と偽った次に、「プラスチックを燃やすとダイオキシンが出る。ダイオキシンは青酸カリの6万倍の猛毒だ」と、さらに偽った。

 

 プラスチックは燃えない、燃やすとダイオキシンがでる、ダイオキシンは青酸カリの6倍の毒性を持つ、という3点セットの間違いはなぜ起こったのだろうか?そこには自治体ばかりではなく、専門家、マスメディアの記者、そして学問的訓練を受けた知識人がいたはずである。

 

 これに対して、当時、科学的に判っていたことは、

1)  プラスチックはよく燃える。焼却炉が高温になるなら炉の部分だけの材質を変えれば良い。

2)  燃やすとダイオキシンは少し出るが、でないようにすることはできる。

3)  ダイオキシンの毒性は調査中で、まだ一部の動物を除いて出ていないし、まして青酸カリの何倍などという数値はない。

というものだった。

 

 この事実を知るにはそれほどの学力はいらない。プラスチックがよく燃えることは初歩的な知識であるし、化学反応(焼却など)をさせるときに材料はその温度に適したものを使うのは常識だからだ。

 

 次に、ダイオキシンも普通の有機化合物だから、1000℃を超えれば分解する。だから、焼却で分解させるのは比較的、容易だ。

 

 最後に、人間に対するダイオキシンの毒性はまだ実験中であり、また、人間に対する毒性と動物は大きく違うので、一部の動物の実験では毒性が決まらないことはサリドマイド事件などでよく分かっていた。

 

 それなのに、「プラスチックは焼却できない。炉を傷めるし、ダイオキシンがでる。」ということで焼却は社会的に葬られた。当時、私は部外者だったが、報道を見ていて、変な方向に行くものだだなと奇妙に思っていたことを思い出す。

 

 でも、2008年の「温暖化騒ぎ」も同じレベルで進んでいる。日本社会とはそういう段階を抜けていないのだろう。

 

(平成20229日 執筆)