2006年、日本畜産学会報に、ブロイラーの産肉量と温暖化に関する研究の論文が発表された。

 

 この論文の要約には「以上の結果から、地球温暖化は今後半世紀でわが国の鶏肉生産に大きな影響をもたらす可能性が示された」と結論している。

 

 ある生産者からこの論文を教えてもらい、私はやや驚愕した。というのは学会の論文というのは通常は「査読」というものがあり、間違いや人に誤解を与える内容については掲載が拒否されるか、あるいは、修正を求められるからだ。

 

 この論文では、気温が高くなると産肉量が変化するかについての実験結果を示しているが、二つの大きな疑念がある。一つは「チャンキー種」という比較的大型の鶏種を用いており、暑さに対して弱い種である可能性があることである。

 

 そして第二には、4週令以後、23℃の飼育場から直ちに33℃と28℃のチャンバーに入れていることだ。

 

 人間でも、23℃で生活していたら、突然、10℃高い33℃の部屋に入れられたらビックリするやら体が慣れないやらでストレスも体力も使うだろう。

 

ブロイラーは人間ではないが、そのような条件変化で産肉量が減少したという事実が記載されている。

 

 でも、地球温暖化というのは、23℃で生活していたブロイラーが、ある日、突然、33℃の中で飼育されるような状態なのだろうか?国連のIPCCは100年間で徐々に温度が4℃程度、上がることを予想しており、日本では四面が海に囲まれていることから3℃程度の上昇と予想されている。

 

 100年で3℃である。これに対してこの論文では1日で10℃や5℃変わった時の変化を示している。

 

 一見して、この論文は温暖化の影響を過度に示す結果になっていると考えられるが、これについては現在、論文を出した日本畜産学会に査読経過をお聞きしている。もしかすると、なにか特別な事情があって、100年で変わる気温を「1日で急激に温度が変わる実験」で再現できる可能性もあるからだ。

 

 現在のところ、私はややこの論文に否定で、温暖化によるブロイラーの産肉量の関係を過度に示す結果になっており、畜産の専門家としては配慮に欠けているように見える。学会からの回答を得たら、また考えてみたい。

 

 ところで、学問が社会との関係を持つ時に、学問には「自由」が与えられている。これは歴史的に苦い経験を積んできたことによる人類の叡智の一つだ。

 

 かつて70年ほど前、ドイツは第一次世界大戦で敗北して莫大な賠償金の支払いを求められて社会が不安定になり、ナチスの台頭を許した。その結果、ユダヤ人の虐殺など多くの問題を起こしたが、その一つに「人間は、民族によって決定的な違いがあり、劣等民族が存在する」という研究が行われたことを思い出す。

 

 政府が求める内容の研究を行う場合には、お金や名誉はタップリ与えられる。従って、学者や研究者といえども、その魅力に勝てずに「劣等民族の存在を証明する」という研究が行われることになる。

 

 このような研究の結果は「ユダヤ人などの特定民族の虐殺」という形で利用される。そしてナチスが没落すると、その研究も共に消滅するのが特徴的だ。

 

 そこで、学問や科学は政府とは独立していて、大学や学会は「政府よりの研究をしなければ潰される」、「政府の方針に反する研究をしても解雇されない」などの保護を受けるようになった。

 

これを学問の自由という。

 

 研究者はその研究結果を論文として学会に提出するが、その時には「査読」という名前のチェックがあり、学問的に間違っていないかの審査が行われる。新しいことを発見していく学問は「多くの人がその結果や結論に賛同する」という必要はないが、少なくとも学問的な厳密性をもって結論が証明されていなければならない。

 

 今回の論文では、「暑さに弱いと考えられる特定のブロイラーを、23℃の飼育条件から、突如、33℃に変えるということが、温暖化による影響を確実に再現しているか」についての、日本畜産学会の専門性が問われているのである。

 

 ここで誤解が無いように繰り返しておきたいが、あくまでも論文に記載されたもの責任は著者にあるが、もし著者が独自に発表したいのであれば、学会誌ではなく、より自由な媒体をつかうことであり、学会誌に提出するということは査読を受けることであり、それが著者の名誉や実績になる。

 

 私は、今、温暖化による日本への影響を調べているが、多くの研究者、特に国立研究機関の研究者による論文が、「温暖化の影響を過度に強調している」ように思われて整理がなかなか進まない。

 

 国立研究機関は国から研究資金をもらっているが、それは「政府よりの研究をする」ということが条件だろうか?もし、それなら「研究」とか「専門」という名前をはずして、雇用者として仕事をした方が良いと思う。

 

 温暖化の影響を過度に強調する結果が、研究者の思いこみなら良いのだが、学問に対する誠実性を失っているとしたら、国立研究機関の研究員自身が、立ち上がってもう一度「学問の自由」を見直してもらいたいものである。

 

 さらに、国立研究機関の研究員が、政府に迎合してデータの採り方や解釈をゆがめたとしたら、それも学問という衣を着た偽装の一種だろうからである。

 

(平成2026日執筆)