人間には自分の魂が試される時がある。

 

何を捨てても愛する彼女と結婚するのか、それともお金が目当てなのか?

何を捨てても友達との信義を重んじるのか、それとも役に立たないと判ると友情を捨てるのか?

そこに人間の価値がある。

私がペットボトルのリサイクルが嫌いなのは、

ゴミを増やし資源をよけいに使うこともあるけれど、

本当は違う。

かつて、ロクロを使ってお茶碗を作った職人、

彼らは決してお金持ちでも偉くもなかった、

でも彼らにとって「自分が作ったものは自分の魂」であった。

 

だから一つのお茶碗を売るときでも丁寧に新聞紙に来るんで「大切に使ってください」といった。

それが売り上げを減らし、妻に苦労をかけるのを知っていても・・・

それこそ「ものつくり」の魂だ!!

ペットボトルを製造する会社の社長は一流大学出。

そして年俸は3000万円。

それなのにリサイクル制度を作れば、一度で捨ててくれると期待する。

売り上げはあがり、収入は増える。だからリサイクルだ。

 

でも、人間には「魂が問われる時」がある。

 

自分が作ったもの、それに「ものづくり」の魂があるのか?

自らが作ったものが愛おしければ、自分の貧乏より作品を愛する。

愛するということは貧乏になることだ。

 

 

彼女は自分の人生だ。

だから、彼女に100万本のバラを贈る。

それが自分の全財産でも、私にはそれが生きている証拠だ。

 

人間には魂が問われる時がある

 

そんな時、ギリギリの選択が迫られる

私は迷うことなく、自分の魂を選びたい

どうせ、自分は大した存在ではない

できることと言ったら、自分の魂を貫くことぐらいだ・・・

私は飢え死ぬことはない

私は凍えることもない

私は生きている

 

それなら私は魂を貫きたい・・・