1.1  分離係数

 

 分別の原動力は一つの分別ユニット内の4つの素過程にあるが、その中でももっとも注目されるのは「反応」の過程で「分別がよくできる、できない」という話はこの反応の過程のことを指す場合が多い。分別ユニットへの原料流の流れ(F)と濃縮流(P)および減損流(W)がある。

 

分離係数(α)は濃縮流と減損流の間の組成の比をとる。時には「原料の組成に対して濃縮した組成がどの程度であるか?」ということが問題となることがあり、その時には原料流と濃縮流の組成の比をとって「頭分離係数(β)」を示すこともある。

 

ここで言う「濃縮流」とは、ペットボトルを分別する場合にはペットボトル側であり、「減損流」というのはペットボトルを除いた残りのもののことを言う。もし家庭の主婦がペットボトルのフタの部分は材料が違うから、それも分けたとすると、フタの方は減損流になる。

 

 分別ユニットの基本4過程のなかで、先回の図で示したAとBをハッキリ区別できる場合は良い分別結果が得られる。しかし、さまざまなものがあるから基礎的な分離研究の場合とは違って、社会的に分別を行う場合はAをあまり明確に分けることはできない。

 

 たとえば、ある主婦はペットボトルをそのまま分別し、ある主婦はフタの部分を分けて分別、さらに、別の主婦はフタもラベルも分けたとすると、それぞれの主婦一人に注目すればよく分別できているが、いずれは一緒になるので、またボトルは「フタやラベル」と混じることになる。

 

 科学は道徳や倫理を扱うわけではないので、事実をそのまま受け入れる。そうすると分別はそれほどハッキリできない。

 

 さらに、社会的にはさらにやっかいな問題が起こる。仮に一般家庭からでる廃棄物を本当に分別しようとすると、その数は膨大になる。「化学工業品」だけで1万種類ぐらいあるから、それ以外のものも合わせるとかなりの量になる。

 

 一般の人が見て、自分の目の前にあるものが何であるか、判らないのが普通だ。知識の人もいるし、あまり材料のことは知らない人もいる。また、しっかりした性格の人もいれば、ややいい加減な男もいる。もともと個性があるのに、時には、せっかく分別して何かを捨てようとしたら汚れてしまったので、仕方なく分別を変えることもしばしばである。

 

 「環境を大切にしよう!」という意気に燃えて議論すると、あたかも「プラスチックの種類毎に分ける」ということが可能なように思うが、実際には不可能である。誰が「環境への意識が低い」というわけではなく、多くの人が生活しているということの本質的なことなのだ。

 

それは、工業的に分けるときも同じで、たとえば吸着という方法で分離する場合、Aを強く吸着すると分離はうまく行くように見えるが、脱着の過程でAを脱着させるために膨大な溶媒を必要とし、著しく効率が悪くなる。これも「工業的な分離は頭で考えた基礎的な分離と違う」と言う事の一つの例であり、分離も分別も「常識」を働かせるときには経験の深い人に意見を聞くなどして、よく注意した方が良い。

(平成20年1月22日 執筆)