さて、日本も昔は山に植林して、それを計画的に使っていたが、それは森林の利用は日本のように平野が乏しく、人口が多く、そして資源の少ない国ではとても大切なことである。
ところが、日本が高度成長期に入ってから、日本の森林は使われなくなった。特に紙の原料となるパルプ・チップは1960年にはすべて日本の森林を使っていたが(自給率100%)、現在は10分の1、つまり10%しか日本の森林は使わず、カナダ、アメリカなどから輸入している。
このグラフから判るように日本の森林の利用が急激に減少していき、「自分の国の資源を使わずに他人の資源を使う日本」へと変貌していった。
そんな中で紙の使用量だけは拡大する。細かい数字は別にして大ざっぱに言えば、いつの間にか紙の消費量は1000万トンが2000万トンに2倍になったのである。
(日本製紙連合会データ)
日本人は紙を多く使うと言われている。そして「文化程度は紙の使用量で決まる」ともいい、紙の消費量が多い方が文化が進んでいると考える時代もあった。文化の程度が低い場合には、紙は書籍や記録などに使われることが多いので、確かに一つの指標にはなる。
ただ、これは「環境」という指標が社会で使われる前であり、今では「環境」も文化の中に入れるとすれば、「紙の消費量が多い方が文化の程度が高い」という表現は見直した方が良いだろう。
日本製紙工業界のデータをお借りして主要国の国民一人当たりの紙の消費量を比較すると、下の図にあるように、一位がルクセンブルグだが、小さい国なので、比較的大きな国の中では、アメリカについで日本と言ってもよい。
さて、紙の全体像が少しずつ判ってきたが、紙というものは「自然の恵み」、つまり太陽の光でできるものであることも理解できた。だから、大昔の太陽の光が生物の体になり、さらにそれが地下に埋蔵された石油のようなものよりも、持続性が高いと言えよう。
そのような紙なのに、なぜ「リサイクルした方が良い」ということになったのだろうか?
また、紙のように自然のものを利用する場合は、自然から取れる量で我慢するというガイドラインも考えられる。なぜ、ガイドラインを引かずに、リサイクルに走ったのか、それも合わせて考えてみたい。
(平成20年1月24日執筆。読者からのご指摘で加筆修正平成20年3月10日)