「資源」に対する社会の関心が高まり、「一度、使った資源をもう一度使いたい」という「願望」がうまれた。また、「ゴミがあふれてきた」ことから「ゴミを資源にしたい」という希望も出てきて、リサイクルが始まった。

 

「廃棄物のリサイクル」というのは本来、用語の使い方としてはあまり正確ではない。つまり「廃棄物」というのは「人間が使用する価値の無くなった資源」という意味であり、「リサイクル」とは「価値のあるものをもう一度使う」ことだからだ。厳密に言うと「廃棄物ではないのに、うっかりして廃棄物にしてしまったものを回収して再利用する」ということになる。

 

つまり「ゴミを分ければ資源」なのではなく、「間違ってゴミにしてしまったものは、回収すれば資源になりうる」ということである。

 

そこで、資源学や分離工学で1950年代に発達して資源の計算に用いられる分離作業量の計算が循環には有意義になる。つまり分離作業量とは目の前にある「混合した資源」の中から「欲しい資源」を取り出すのにどの程度の労力がかかるかという数値であり、これが判れば目の前にあるゴミのなかで「うっかり捨てた」というものがどれかが判る。

 

少し専門的になるけれど、本格的に循環型社会というのを「理論的に」研究してみたいという人に学問的知識を提供したい。また、現在の循環型社会はLCAのような個別計算しか発達していないが、もともと学問とはそれらを抽象化して、ここに示すような理論式までにするのが主要な方法である。個別計算は本来は、理論計算の次に行うものである。

 

 また、ダイオキシン騒動で当時の東大医学部の和田教授が「ダイオキシン騒ぎは科学の力の弱さにある」と嘆かれたように、またかつて無実の女性を多く火あぶりの刑に処した「魔女裁判」にしても、学問は正しく使えば人間の幻想を打ち払ってくれる。

 

資源は分別から始まる。山の中から金を取り出すのも、ゴミの中からアルミ缶を取り出すのも、操作は「分別(分離)と移動」である。そこでまず「分離ユニット」からはじめたい。

 

(注)「分別」という用語は学問的にはあまり使われないので、ここでは主に「分離」という技術用語を使用する。

 

1    分離装置と分離ユニット

 

目の前にある分離装置が化学工学の蒸留塔であれ、リサイクルの時の主婦の分別であれ、混合物が入って分離して出てくるのが、その操作の結果である。つまり外から見るとある操作は一つのものとして見えるが、実際には一体に見える「物質」にもそれを微視的に見れば小さな単位「分子」があるように、操作も小さく分解していけば「分離ユニット」に到達する。そして、物質の性質がそれを構成する分子の種類によって特定されるように、リサイクルの効率の一つも分離ユニットの性能によって決まる。 

 

分離ユニットの典型例.jpg

 

「分離ユニット」とは蒸留での「棚段」であったり、主婦の手のような分別手段であったり、自治体がペットボトルを洗うときもそうだが、いずれも分離ユニットではあるが、その中には、「目に見える分離ユニット」もあれば、連続していてどれば一つの分離ユニットか判らないものもある。でも、目にはっきり見えないからといって分離ユニットが存在しないと言うことではない。

 

一つの分離ユニットには「供給」「反応」「分別」「脱離」の4つの素過程があるのが普通である。ここではより具体的に解説を加える目的で、吸脱着分離を例にあげることにするが、分離を研究している人やリサイクルの改良しようとしている人は自分が対象としている場合に当てはめて考えてほしい。

 

ユニットの分離順序.jpg

 

吸脱着では吸着剤のある分離ユニットに、ABの二つの化合物を供給する。その中からAを吸着させ、Bが液に残る。これが「反応」の過程になり、この場合は吸着反応である。そして濾過などの方法でまずBを除き(分別)、しかる後にAを取り出す(脱着)。

 

 4つの素過程が1つの分離ユニットとしての機能を果たし、取り出した成分は「分別」されているので、それらの間にはどの程度、分離されたかという分離係数(α)が存在する。

 

 

分離ユニット.jpg

2008年1月12日 執筆