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 魚取りの中でなんと言ってもサケを採ることはアイヌにとって別格である。それは川からの食糧としてはもっとも豊かなものだったからだ。

 

 コタンの中央に位置する囲炉裏の上には必ずと言って良いほどサケが吊されている。そしてサケを保存するために囲炉裏にくべるのは生木であって、石炭ではない。

 

 樹木の心材部分にはフェノール系の防腐剤が含まれているから、生木を燃やした時にでる煙には防腐効果があるからだ。もちろん、一年中、火を消さない囲炉裏には天井の材料や害虫を駆除する役割をももっている。

 

 でも、私の感じではサケという魚はそれほどアイヌの尊敬を得ているようには思えない。別格ではあるが、魚はサカナ、という取り扱いのようだ。

 

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(天才芸術家 阿寒の藤戸さんの作品)

 

 海で尊敬されるものはクジラだが、川はどちらかというとイトウが特別扱いで、サケは単に「大切な獲物」である。

 

 自然の中で人間が尊敬する生物には特徴がある。たとえばアイヌではクマやオオカミ、そしてフクロウがそれにあたる。第一に強いこと、第二に数が少ないこと、そして第三には頭がよいことのようだ。

 

 たとえば美しい体をしているがシカは余り尊敬されない。シカは繁殖力が強く、エサがあれば際限なく繁殖する傾向がある。それに対してオオカミはシカと同じように集団で生活するが、繁殖は環境をよくよく考えて決めているように見える。

 

 そこに「神の力」を見るからだろう。それからみると人間は力もあり頭も良いが、なぜか繁殖力が強く、食糧があれば数が増えると言う点が問題だ。あまり尊敬できる動物ではない。

 

 ともかく、アイヌはサケ漁には力を発揮する。川を遡上するサケを突くための銛(モリ)は特別仕立てで、突いたサケが藻掻けば藻掻くほど確実に捉えられるような構造になっている。

 

 そしてサケを岸に上げた後、アイヌはヤナギでできた棒で鮭の頭を叩いて殺す。それはサケが「ヤナギで叩かれて死ぬことを望んでいるのであり、特に若いサケはそれを望む」と信じられているからだ。

 

 近代科学から言えばサケがヤナギを識別するとは考えられないが、そこにはおそらく深い理由があると思う。きっと「自然の持続性」を保つためにアイヌが考えに考えた結果と私は想像をたくましくする。

 

 アイヌの海の神は荒々しい男性神であるが、川の神は女神で優しくアイヌを見守る。そこでサケ、マス、そしてイトウを獲る。でもウナギは魔物だった。それはウナギを捕るとサカナが捕れないとされていたからだ。

 

 一体、迷信というものはどういうものだろうか?語感からは「根拠もないこと」と受け取られるが、簡素な原始的生活は少しの間違いでも命取りになることがある。だから迷信の形をとって守られている戒律にはよくよく考えられ、経験に基づいた知恵が潜んでいるのだと思う。

 

 人間は「理由はハッキリしないが厳然たる戒律」か、それとも「明確な科学的論理的知識」に基づかないと失敗する。今の日本のように、「温暖化で海氷が融けたら海水面があがる」など非科学的で戒律でもないことを言っていると滅びるのだ。

 

 ともかく、サケはアイヌの生活と深く結びついていて、至る所にサケの姿や痕跡を見ることができる。

 

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(サケの皮でできた靴)