単純に「随想」とするのに抵抗があった。「コーヒータイム」でもない。なにが自分の心に引っかかっているのか、なにかが奇妙だと感じながら、それが判らなかった。

 

 それで「随想」に前に「こころの」というのをつけて、書いてみた。暗中模索だったので(5)と(6)を一度、アップして取り下げ、また書き直したりした。ギクシャクした新しいシリーズの執筆だった。

 

 そうこうしているうちに元旦に二つのことに出会った。一つはあるテレビで放映された地球温暖化の番組、二つめは純粋な読者からの質問だった。読者の方からメールをいただいたのが元旦の夜9時58分。それを読んで「ああ、そうか!」と気がつき、それから3時間、考えて、夜中の1時に自分の疑問が氷解していった。

 

 それは次のようなことだった。

 

 地球温暖化では、子供に「あなたに何ができますか? 一人一人ができること、たとえば電気を節約しましょう」と呼びかけ、呼びかけた当人は、ゴア前アメリカ副大統領のように大量の電気を使っている場合が多い。

 

 市民が電気を節約するぐらい簡単と思うかも知れないが、明るいところで生活をしたいと希望する人もいる。ゴア氏が毎月、30万円の電気代を払っているのは、明るいところで過ごしたいからだろう。

 

 「政治家はそんなものだ」という突き放した論評もあるが、民主主義では政治家は国民に奉仕する立場だ。レ・ミレザブルのジャンバルジャンがその一つの例だろう。

 

 「偉い人はそんなものだ」というこれまた突き放した話もあるが、偉い人は節約せず、偉くない人が節約すべきという議論は私はあまり賛成できない。

 

 やはり、説得する本人が「あなたにできること」という限りは本人もできることだから、市民と一緒でなければならないと思う。自分ができなかったら、言わないのが誠実だと思う。

 

 でも、「自分で呼びかけたこと」を「自分ではしていない」という人はゴア氏ばかりではない。日本で温暖化の防止を呼びかけている多くの知識人は平均より大量の電気を消費している。

 

 また、元旦の温暖化の危機を訴えるテレビ番組では「一人一人の人が生活スタイルを大きく変え、節電しよう」と呼びかけているのに、そのテレビ局のスタジオも照明は煌々(こうこう)とし、深夜まで番組をやっていた。

 

 それだけではない。翌日、駅伝番組を見ていたら、ある自動車会社が「CO2ゼロで走る」という宣伝をしていた。電気自動車の宣伝である。

 

 温暖化を防ぐために「電気を使わないようにしよう」と呼びかけ、「電気自動車はCO2を出さないから温暖化に優しい」という。

 

 余りにバカらしくてコメントもしたくない。このシリーズも「短い旅」に変えて終わりにしたい。

 

 現代の日本の環境問題を混乱させているのは「論理の問題」でも「データ」でもなく、「こころの問題」であり、武士に二言はないという「日本人の誠」こそが大切だという直感も間違っていなかったようだ。