資源を節約しなくても良いということになると、私たちの生活はかなり大きく変化する。「節約」、「もったいない」、そして「マイバッグ」、「リサイクル」などがすべて姿を消すからだ。

 

 それもおかしなことだ。資源がなくなるというのに「節約しなくてもよい、リサイクルしなくてもよい」ということになると、少なくとも常識に反する気がする。

 

 でも、一通り、考えてみたい。多くの人が未来の為に節約しようと言い、子供たちまで「環境教育」に巻き込んでいるのだから、ここは慎重に行きたい。

 「資源」には石油、石炭、天然ガス、鉄鉱石、ボーキサイトなどの基礎となる資源から、レアメタルや貴金属のような希少資源まで、種類はかなり多い。そして、現在、そのほとんどすべてが「国際化」され、「資源戦争(資源の取り合い)」に近い形になっている。

 自分の国に資源があれば、それを外国に輸出しないようにすれば無くなることは無いのだが、現代の工業では外国からの資源も必要だ。

そうなると「自分の国の資源は出さないけれど、外国の資源は欲しい」といってもそんなワガママは通ら無いので、自国の資源だからといって自由にならないのが今のグローバリゼーションというモノである。

 

 そのことは「食糧」という資源にもっともよく現れている。世界全体で一年に20億トンの穀類が生産されていて、一人平均では300キロにあたる。この程度、あれば全世界の人が飢えなくてすむ。

 

 ところが現実には8億人もの人が飢えて、毎年、子供を中心として1500万人が餓死する。その一方で、日本は60%の食糧を輸入し、その半分に相当する食べ物を捨てている。

 

 力のあるものが勝ち、弱いものが死ぬ冷酷なグローバリゼーションの世界である。

 

 食糧でもこんな有様だから、一つ一つの資源については到底、「みんなで節約しましょう」などということにはならない。少しでも資源を獲得し国民が豊かになるように各国が必死である。

 

 だから資源は次々と枯渇すると信じられている。かつて足尾銅山が計算通り枯渇したように、銅、金、銀、鉛などはあと50年ほどでなくなる。そして現実には無くなりそうな資源ほど獲得競争が激しい。

 

 日本には資源がない。だから日本人が資源を節約しても、そのあいだに他の国が資源を使いつくしてしまう。日本以外の国でじぶんの国の国民に犠牲をしいている国はない。みんな、国民のために資源をとるのに懸命である。

 

 資源がなくなりつつあるとき、その国の指導者は必死になって国民のために資源を獲得しようとする。それは当然のことであり、なんら倫理的にも政策的にも非難される筋合いはないだろう。

 

 そうすると、日本人が節約しても、世界各国がその資源を使うので、資源は一定のペースで減り続け、やがて枯渇してくると、今度は日本が変えないぐらいの高い値段になるだろう。

 

 つまり、「資源の節約」は無意味なのだ。無意味。「資源を後の世代に残したい」という希望や望みはあるが無意味だ。

 

 そこで、日本が取り得る道は3つ。一つが、資源を「備蓄」することで貿易黒字がでたら、それで資源を買って日本の国内に貯蔵しておく。「備蓄型」である。

 

 第二がリサイクルせずに廃棄物を焼却して、資源を取り出し、それを貯める。「人工鉱山」と言えよう。そのためにはリサイクルは厳禁である。リサイクルすると、まだ資源のある時に使ってしまうので貯めておけない。

 

 第三が軍事力を高めておき、他国の資源を力で押さえてしまうことである。戦争前の日本はマレーシアのスズ、インドネシアの石油などを目指して日本軍を南下させた。現在はアメリカ軍が石油利権の獲得を目的として中東に軍隊を派遣している。

 

 日本人はどれを選択することになるのだろうか? 今までの日本のやり方を見ると「その場限り」が多いから、備蓄や人工鉱山のような長期計画は苦手である。資源が無くなるまではリサイクルでもして、無くなったら軍事力で取りに行こうと考えているように見える。

 

 実に意外な感じがするが、当たり前と言えば当たり前だ。世界には多くの国があり、それぞれが違う思いを抱き、生活をしている。少しの国際的な助け合いはあるけれど、基本はみんなが自分のことで手一杯なのである。

 

 自分や自分の家族、郷土、そして国のために一所懸命はたらき、外国から資源を獲得して豊かな国になることは悪いことだろうか? むしろ当然のことだろうし、日本のようにすでに豊かな国は全力ではやらないという考えもあるが、発展途上の国の人に「そこで止めてください」というのは酷なことだ。

 

 リサイクルについてはここでは多くを語るつもりはないが、何のためにやっているのだろう。ゴミを減らすのが目的なら焼却すれば直ちに20分の1になる。

 

 「ああ、よかった」という人生を送るために、たまたまその人の生活スタイルが地味ならそれはそれで良い。結果的に節約になる。日本の家庭婦人(現在では死語か、もしかすると差別語?)はもともとが節約家で真面目だった。

 

 お母さんから、「ものを大切にしなさい」、「農家の方が一所懸命、作ってくださったのだから残さずに食べなさい」と言われて育った。ほとんどの日本人がそうだろう。

お母さんは子供に「人の道」を教えているのであり、「世界の資源寿命の伸ばす」ことをあまり意識していない。

 

 ものを大切にしたり、人に感謝する気持ちをもつことが、結局、あなたを幸福にしますよ・・・というお母さんの子供に対するメッセージなのだ。お母さんのこころは「モノ」には向いていない。