約150億年前のことだった。突然、巨大なブラックホールが爆発して10億℃近い温度になり、そこで水素やヘリウムという「元素」が誕生した。

 

 なにしろ「無」から「有」を生じるのだから私たちの日常生活では思いもよらぬことだが、ともかくビッグバンと呼ばれる大爆発によって現在の宇宙が誕生したのは紛れもない事実であるとされている。

 

 それ以来、宇宙は膨張を続け、時間は一直線に未来に向かっている。

 

 私は足を一歩、前に踏み出し、そしてまた一歩、後戻りする。そうすると私は元の位置に立っていて、周囲もなにも変わっていないように見える。

 

 もう一度、私は一歩、前に進み、そして一歩、足を後ろに戻す。そして部屋の中を見渡してみると、なにも変わっていない。

 

 でも、違う。何が違うと言えば、太陽が僅かに西に傾き、私の皮膚はほんの僅かシワがよっている。私が立っている場所は全く変わっていないが、時間だけは確実に過ぎていく。

 

 人間は脳が発達しているから、昨日のことを覚えている。一ヶ月前のことも、一年前のことも、そして記憶力の良い人は生まれて間もない頃のことまで、しっかりと脳に刻まれている。

 

 それは私たちに「脳」があるからだ。もし私たちにそれほど優れた脳がそなわっていなければ、私は昨日を覚えていないだろう。

 

 昨日を覚えていなければ何が起こるだろうか?悔しいこと、失敗したことも覚えていない。意地悪も恨みもない。何もかにも「今」と「今からさき」しかない。

 

 私は一歩、前に進み、一歩、後ずさりすることができるが、戻ることができるのは場所だけであり、時間は戻らない。

 

 ビッグバンとはすばらしいものだ。宇宙が始まって膨脹し、私たちは時の流れの中にいる。だから、昨日の失敗はもう元に戻らないし、昨日の失敗を二度と味わうことはない。明日だけが私たちの人生である。

 

 社会には「謝罪会見」が流行している。謝罪しなければ出直せないという。でも謝罪をする対象は昨日のことで戻らない。問題は明日からのことであって、昨日のことではない。明日どうするか、それが問題なのだ。

 

 でも、人間の心は「未練」がある。その未練は私たちの脳の記憶・・・つまりすでに過去のものだから幻想であって現実ではない。

 

 それが人間の哀しいところだ。私は高等学校の卒業式の訓辞で次のように話したことがある。

 

 「受験に失敗したこともあるだろう。友達と喧嘩したことも、楽しい高校生活の中にはイヤなこともあっただろう。でも今日を限りにすべてを忘れよう。君達の未来には過去は戻ってこない。過去は参考にはなっても、自分の身を苦しめることはない。君達の前には明るい未来だけが開いている。それだけを見て、これからは過去は捨てながら自分らしい人生を送って欲しい」

 

 過去があるから人間は学ぶことができるが、過去にこだわっても未来にはなにも生まれては来ない。

 

 悔やんではいけない・・・気持ちは判るけれど・・・