数年前に愛知県で不倫事件があった。その時、不倫に関係した男女のうち、男性だけが金銭的に罰せられ、社会的にも葬られた。

 

 その時、新聞やテレビなどのマスメディアは、男性の顔、名前、社会的身分など詳細にわたって報道したが、相手の女性がどのような人であったかはまったく触れなかった。

 

 このことで私は「男女共同参画」という視点から小文を書いた。

 

 その趣旨は「相手の女性も普通に考えれば教育を受け、社会常識もあり、不倫の相手の男性に妻子がいることを知っているはずだ。「女はバカだ。不倫が社会的に批判されるべきものということを知らない」ということを前提にした話は男女共同参画の将来にとっては望ましくない」というものだった。

 

 でも人間というものが持つ深い矛盾からは少し固すぎる批判のようにも思える。人生にとって男女関係は複雑である。妻子ある男性が突如として熱烈な恋愛にはまり人生を失いことをテーマとしたすばらしい芸術作品にはことかかない。

 

 女性側にも妻子ある男性とのつきあいが認められないという一般論はなかなか受け入れられないだろう。

 

 そんなことを踏まえてもなお、女性も男性も大人であれば自分の行動には責任をもち、もしそれが社会的に非難されるべきことであればその責任を転嫁しないという覚悟が求められると思う。

 

 つまり、簡単に言えば「なにか問題が起これば男性の責任である」というこれまでのいわば「常識」を女性側から疑ってみてはどうだろうか?

 

 守屋防衛省前事務次官とその妻が収賄容疑で逮捕された。

 

 これまでの「常識」では収賄事件で妻が逮捕されるということは考えも及ばない。「妻はバカで、社会的な善悪は判らず、ただ夫について行っただけ」という解釈だからである。

 

 でも、次官の妻は自分の夫が次官であり、官僚が特定の業者から饗応を受けることが社会的な犯罪であることを知っている。つまり「大人は収賄が社会的犯罪であることを知っている」のが前提であり、「犯罪をそそのかしてはいけない」ということも同様である。

 

 まだマスメディア報道の段階だから明確ではないが、仮に守屋前次官の妻が業者から饗応を受けたなら、妻であれ愛人であれ、社会人としての罪に問われるのは当然だろう。

 

 男女関係は暴力の問題や女性の社会保障など現実的に難しい問題を抱えているが、少しずつ、男女が共同して明るい社会を築くように努力するようになりたいものである。

 

 男性による犯罪が行われようとしているとき、少なくとも女性はそれに対して積極的に加担しない・・・この社会が男性だけで出来ていないのだから、女性も社会の「健全化」に責任があるとする方が良いと思う。

 

おわり