青春時代は楽しく、苦しく、そして激しい。

 

 若者は正義に燃え、時に激昂する。

「先生っ!そんなの間違っているじゃないですかっ!」

と激しく迫ってくる。

 

 確かに学生の言うとおりだ。ある側面から見るとそれは正しく、紛れもない。でも、別の角度から考えればそうとも言えない。物事はそれほど正誤がハッキリしているものではなく、時代や場所によっても正しいことは変遷する。

 

 でも、基本的には学生を説得したりはしない。参考になる程度のことはいうが、学生が自ら考えて行動すれば良い。正しければ報われるだろうが、間違っていればそれはやがて露見するからだ。

 

 だから、私は次のように言う。

「君の言う通りかも知れない。だからやってみたらどうか・・・」

 

 そして、次のように続ける。

「本当に正しいことをすれば3年で死刑になる。間違ったことをすれば生き延びる。おそらくこの世に生を受けた人でもっとも正しかった人はイエス・キリストだろう。だから布教3年目にして十字架にかけられた。」

 

 もしかするとこの説明は信者の方に叱られるかも知れない。でも私のように信者ではないけれど、イエス・キリストをもっとも尊敬している。

 

 イエス・キリストぐらい偉くなると3年。ソクラテスは獄死、ガリレオは投獄、そしてガンジーは凶弾に倒れた。我々はそれほど偉くないから生き延びる。

 

 私は学生に言う。

「君の言うことがイエス・キリストぐらい素晴らしく、2000年も語り続けられるほどなら死刑になるだろう。ソクラテスぐらいだったら監獄に入れられるだろう。そして、たいしたことがなければ尊敬される。」

 

 かつて学問をする人は生きている間に報われるのを恥とした。自分の研究が真に大切なものならすぐ社会がそれを理解するはずはない。だから生きている間に「素晴らしい研究ですね」と言われたら、言ってくださった方には感謝しなければならないけれど、心密かに反省する。

 

つまり、社会は進歩していくので、自分の研究が図抜けてすばらしければ、30年後に評価されるべきだ。イエス・キリストは2000年も先を歩いておられた。いや、まだ完全には理解されていないかも知れない。

 

 だから、生前に評価される研究はそれだけ劣り、ほめられる行動はたいしたことはない・・・だから、君、思い切ってやってみたら、と私は学生に言う。