私がアイヌ文化を研究したいと思うようになったのは、網走市にある北方民族博物館にある友人に連れて行ってもらった時からです。

 

 その民族博物館に陳列されていた品々は、歴史好き、博物好きの私でも、その時まで私が目にしたものとすこし違うような気がしました。

 

 何が違っていたのかを説明するのはあれから10年近くたった今ではあ程度、わかってきましたが、当時は何か違うなというだけでしたが、ともかく「調べなければならない」という強い気持ちが湧いてきたのです。

 

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(アイヌの文様:著者撮影)

 

 一つ一つはこのような衣服に記された文様だったり、農具や断片的な記録図のようなものでした。

 

 当時の私は「経済成長はしなければならないし、そうすれば環境を破壊する。一体、私たちの世界に調和した発展などあるのだろうか?」という疑問が解けずに苦しんでいたので、この珍しい体験を活かしたい、何かを得たいと思ったのです。

 

 北海道でアイヌという文化が誕生し、1000年以上にわたって歴史を刻んできたその詳細を学ぶことは何か重要なことを教えてくれるに相違ない・・・

 

 その後の数年の研究は、数多くの友人の手助けもあって、思わぬことを知ることができました。それは「自然と共生して生きること、戦争のない暮らし、そしてヨーロッパ文化の間違い」の3つの課題の回答だったのです。

 

 そのうちの一つ・・・戦争のない社会というのはどういうものか、そしてなぜ戦争のある国と戦争がない状態が生まれるのか?

 

 「アイヌの歴史の中に、小競り合いでは本格的な戦争があったか?」という私の問いに、「刀傷がある人骨は3体しかなかった。おそらくは石を投げ合う以上の戦いはなかったのではないか」とその考古学の先生は慎重にお答えになりました。

 

 アイヌはクマなどの強い動物の狩りをするので、鋭い斧が必要でしたし、本州に住んでいる和人(私たちの祖先)は多くの武器を持っていたので、それを手に入れることは簡単だったと思います。

 

 でもアイヌの遺跡の中には刀傷のある人骨がないばかりではなく、刀や槍といった人を殺すための武器が見あたらないのです。

 

 かつてのアイヌの人口は定かには判りませんが、少なくとも数万、おそらくは20万人程度は北海道で居住していたと見られ、その点からは権力争いが起こるに十分な人が住んでいたと考えられます。

 

 またアイヌは基本的には狩猟民族なので、仮がうまく行かず飢えることもあり、そんな時には隣町に食糧を奪いに行かないと自分たちが飢え死ぬ可能性もあったと考えられます。

 それなのになぜ、戦争が無かったのか?

 

 アイヌの文化のもっとも基本にあるもの、それは「自分のものは自分のもの、他人のものは他人のもの」という考えのように思えます。当たり前のことですが、もしこの考えを実践すれば戦争というのは起こらないでしょう。

 

 そのための仕組み、普段の生活、隣村とのつきあい、自然に対する考え方・・・あらゆるものが連携して、「欲しくても他人のものを暴力で奪わない」という固い文化を築いたものと考えられます。

 

 現在でも「自分の考えと違うときには暴力(武力)を使って良い」と世界中の人が思っています。イラクのフセイン大統領はケシカラン、だから武力で占領してフセイン大統領を殺したブッシュの方が正しいという訳です。それでは戦争は無くならないでしょう。

 

 私が網走北方民族博物館で感じた、あの雰囲気、それまでどこでも感じたことのない一種独特の感触、それは「戦争をしたことがない文化が残したもの」であったからであり、さらに「戦いの痕跡のない遺物」にあったのです。

 

 日本中、いや世界のほとんどの地域の遺物には、刀、槍、甲冑があり、また戦いの歴史が書かれています。日本の各地に行くと、その地域を治めていた殿様の甲冑や宝刀、そして血なまぐさい戦いの歴史を見ることができます。

 

 日本でもヨーロッパでもそれは余りに普通のものですから、戦いの記録のない博物などあるはずもないのです。そんな陳列物になれていた私は北方民族博物館でまったく戦いの臭いのない文化に始めて接した・・・それがあの私が感じた違和感だったのです。

 

 誰もが「平和は尊い」と言います。それでいて「なぜ、戦争になるのか」を明確に答えることは出来ません。むしろ「人間は戦争をする動物だ。戦争は人間の性から仕方のないことだ」という考えもあります。

 

 そういえば私も戦争に強い武将を「かっこいい」と感じることが多かったと反省しています。私も暴力尊敬派だったのでしょう。

 

 でもアイヌはおよそ2000年の歴史を戦いすることなく過ごしてきました。このことこそ、私の求める答えの一つだったのです。

 

つづく