日本人の誠の形の中心をなす一つが「してはいけないことはしない」という倫理観でしょう。

 

 「倫理の黄金律」に積極型と消極型があり、積極型では、

「相手のして欲しいことをしなさい」

と言われ、消極型では、

「相手のして欲しくないことをしてはいけない」

とまとめられます。

 

 この黄金律だけでも守ることができたら、社会は確かにずいぶん、住みやすくなると思います。せめて「相手がして欲しいと望んでいることは何か?」を考えるだけでも違うように思います。

 

 日本に欧米の文化が入り、戦う力は強くはなりましたが、心はすさんできました。相手が何を考えているかを知るのは、「儲けるため」や「だますため」という情けない社会になりつつあるのも確かです。

 

 ヨーロッパでは積極型の黄金律が受け入れられ、東洋では消極型の黄金律の方が一般的だと言われます。つまり東洋は「して欲しくないことはしない」という考え方です。

 

 「して欲しいことをする」という積極的な考え方も良いように思いますが、相手の態度がハッキリしていないと「お節介」になることもあります。その点では、「して欲しくないことはしない」という方は、それだけ相手の自由度が上がるからでもあります。

 

 それに対して日本人の誠の形として示した「してはいけないことはしない」という考え方は、日本のように単一な民族が一つの島に住んでいて、それぞれの人の価値観がそれほど違わない文化で成立するように思えます。

 

 つまり、日本列島に住んでいる人は、「してはいけないこと」がほぼ同じであるからです。

 

人のものを盗んではいけない、道路を歩いていて向から人が来たら道を譲らなければ行けない・・・などの底に流れる倫理観が一つだからです。

 

 そんなことは当たり前だと思う人もいるでしょうが、「ものを盗む方が悪いか、盗まれる方が悪いか?」という質問に対して日本人のほとんどは「盗む方が悪い」と答えますが、「盗まれる方が悪い」と答える国も現実に存在するのです。

 

 誰でも取れるところにお金が置いてある・・・・

そんな状況を思い浮かべてもらうと、日本では、

「人様のお金を取るなどということをしてはいけない」

ということになりますし、ある国では、

「取られるような状態でお金を置いておく方が悪い」

となります。

 

 江戸末期、鎖国が解けて日本にやってきた多くの欧米人の人が体験して驚いた日本独特の文化のうちには、「してはいけないことはしない」というものもありました。

 

 大森貝塚の発見で有名なモースの「日本人の住まい」の中の一節です。

「鍵を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りをしても、触っていけないものは決して手を触れぬ。」

 

 私はここに日本人の誠に一つの形を感じます。少しでもお金が欲しい貧乏な召使い、朝からお腹を減らしている子供・・・それでもモースのお金には手をつけなかったのです。

 

 お金持ちなのに業者の接待を受け続けた守屋事務次官、正直に商売していても食べるのに困らなかった赤福餅の経営者、回収率のグラフのタイトルを「リサイクル率」とした人・・・日本人の誠からずいぶん、遠く離れてしまったものだと思います。