アイヌ民族の歴史は、多くの研究の努力がされているけれど、よく分かっていない。それはアイヌ民族が「文字」というのを持たなかったことと、自然の中で自然と共に生きてきたからだ。

 

 自然というもの、それも生物と関係の深い自然は、それほど多くを残さない。

 

 樹木、枯れ葉、動物の体・・・そのようなものの多くは数年、長くても100年を超えて残るものは少ない。何かの偶然で化石になった大昔の生物のように、土に埋まって腐食を免れたというケースでなければすでにこの世からその痕跡を消している。

 

 アイヌ文化の勉強をしに何回か北海道を旅していたとき、復元された近世のアイヌの住居に驚いたことがある。建築された年代は定かには分からないものの、数100年前のものだが、まるで和人が作った縦穴住宅に近いものだった。

 

 アイヌチセ集落.jpg

 

 私は思わず、

「まるで縦穴住居ですね!」

と驚いて声を上げると、ご案内していただいた考古学の先生は、

「日本でもつい最近まで、一般の民家はこんなものだったと思いますよ」

とお答えになった。

 

 そういえば・・・私は歴史が好きだから地方に行けば博物館を訪れたり、遺跡を見に行ったりするが、その多くはお城とか武家屋敷、それに繁盛していた商店群などであって、「田んぼの中にたたずむ庶民の一軒家の遺跡」を見たことは無いかも知れない・・・私が今まで勉強してきた歴史というのは一体、何だったのだろうか?

 

 鎌倉時代は源頼朝が幕府を開いた。それは日本で最初の武家政治だったので歴史的にはとても重要だ、年号は1192などと暗記した。

 

 でも、広い日本の中であの小さな鎌倉に幕府が出来たからといって、山の端に住居を構えた多くの日本人にはどういう変化があったのだろうか?1192年に家を建て替えた?農具が変わった??寿命が延びた??? おそらくは何も変わらなかっただろう。

 

 それでは1192年という年号は何を意味するのだろうか? 単に一部の上流階級・・・天皇家と源氏、それに直接関係する武士のお偉方・・・その人たちのいわば“家庭内騒動”だったのではないだろうか。

 

 私の頭の中に入っている「歴史」は、戦争やお金に興味がある現代の社会が見た過去の幻想ではないのか・・・私の歴史学に対する疑問はそれ以来、続いている。

 

 ところで、アイヌの住宅を「チセ」というが、玄関に扉もなく、窓にガラスもはめていないが、実に居心地がよい。

 

 玄関から入ると、小さな前室があり、その土間が母屋に続いている。低い床、夏でも火を切らさない囲炉裏、東北の隅に鎮座する神座・・・簡素な作りだが人間が生活するのには十分である。

 

 アイヌ囲炉裏.jpg

 

 チセの住み心地の良さを作り出している第一の原因は、その壁にあると私は思う。部屋の内部から見るとササのクキしか見えないし、外から見るとササの葉で覆われている。

 

 つまり、チセを建築するときには木組みをした後、ササのクキを縦に並べながら壁を作り、葉をクキと垂直に外に出すのである。このことによってササの葉の長さに相当する壁の厚みができ、それが「保温」と「空気の入れ換え」を適度に保つことになる。

 

 アイヌ屋根を葺く.jpg

 

 現代もまた同じように住宅が造られる。アイヌはその家の主人が亡くなると家を燃やす。宗教的にも、また衛生的な理由もあったのだろう。だから、家はそれほど永久的なものではなく、おおよそ一代で作り替えられる。

 

 日本の住宅はアイヌも、和人も、等しく「臨時の住まい」しか作らない。もちろん、動物もその場その場の住居に住んでおり、永久的な住宅を造るのは貴族か、近代の人間ぐらいである。

 

 薄暗いチセの中に座っていると、ほのかに外界の息吹が感じられ、そこにじっと長く居たいという気持ちになる。流行の言葉を使いたくないが、いわば癒される空間である。

 

 でも、すでに私は現代の人間だから、テレビもない、瞬間湯沸かしもない生活には耐えられないだろう。

 

 生き物としての居心地と便利さは共生できないのかも知れない。

 

(アイヌ文化の話に載せる写真はほとんど著者がアイヌの研究をしたときに撮影したものです。ご協力いただいた方に感謝いたします。)