ペットボトルをリサイクルすると、ある人(武田)は新しく石油から作るのに比較して資源を3.5倍使うと言っている。ところが、ペットボトルをリサイクルしているある人は、4分の1だと言う。
これでは話を聞いている人が混乱する。普通の人は関心があってもペットボトルをリサイクルの計算をする時間はない。また、時間があっても身近に計算に使うデータも持ち合わせていない。だから、専門家の数字を信じるしかない。
でも、片方が3.5倍もかかると言い、別の専門家が4分の1ですむと言われるとどうしようもない。こんな議論が10年も続いているのだ。それでも庶民はじっと我慢して毎日、分別をしている。
「自分のゴミは自分で分別する」と約束したからだ。日本人たるものひとたび、約束したらその誠を貫かなければならない。だから分別してリサイクルに出す。
どうしてこんなに大きな差があるのだろうか?専門家ならお互いに少しは話をして数字を詰めておいたらどうだ、と思う人が多いだろう。その試みの一つとして10.7シンポジウムは意味があった。
でも結果的には、この点については混乱は解決しなかった。私は3.5倍と言い、リサイクルしている人は4分の1と言うままで終わったからだ。
数字の違いは14倍にもなるが、双方とも、おそらくは計算違いでもなく、方法が違うのでもなく、同じ計算をすれば同じ結果になることをやっていて、ただ計算の前提が違うだけだと私は思う。
鉄道の運賃の計算を思い浮かべてもらおう。
「国立から大阪に行く時の運賃」と言うと、普通なら
国立―(中央線)―東京―(新幹線)―大阪
の計算をするだろう。この計算でも普通車、指定席、グリーン車などで違う。
ある人は国立から東京まではタクシーを利用するかも知れないし、あるいは国立から中央高速にのって直接、大阪にタクシーで行くかも知れない。そうするとものすごく値段が違う。深夜バスで行く人とタクシーで行くのでは14倍も違うかも知れない。
つまり14倍も違うのは、単に前提の違いではないかと私は思った。それなら一つ一つの数字に反論しても成果は得られないだろう。
環境の計算でたとえば「消費エネルギー」を出すときに、
1) 使った燃料だけを計算する、
2) 使用した機材も含まれるエネルギーも合計する、
という二つの方法がある。
たとえば、東京から名古屋にリサイクルするペットボトルを運搬するとする。その時に「使ったガソリン」だけを計算すると一番、小さな数字が出る。
次には、トラックで運搬するので、タイヤは削られるし、オイルも消耗するし、バッテリーも定期的に交換しなければならない。運搬するのに伴う「消耗品」をエネルギーとして加算する。これはかなり普通に行われている。
さらに、トラックがなければ走ることができない。だから、トラックを製造する時に使うエネルギーも加算する。トラックの荷台なども同じである。もちろん高速道路も必要で、一般道路、信号、車線、停止線、ガードレール、休憩所、修理工場、車検工場、ガソリンスタンド、JAF(緊急の時に助けてくれる機関)・・・とトラックが荷物を運搬する時に必要なものは多い。
車線一つ引くのも膨大なエネルギーを要する。ペンキを製造する、塗料の噴射装置、作業のためのトラック、噴射するエネルギー・・・それらをまず計算して、最後に「歩留まり」で割返す。
「歩留まり」というのは「その目的で使おうとしたエネルギーの内、有効に使用された割合」である。普段の生活なら「売れ残り」「欠陥品」「予定していたけれど注文が無かったので捨てた」「劣化した」というようなものを除く。塗料を100購入して50しか使わなければ、計算したエネルギーを0.5で割るので、エネルギー量は倍になる。
次にソフトに使うエネルギーだ。病院、保険、国土交通省、警察、運搬会社の社長の使う物、税金・・・などがある。これらも現代の日本では膨大なエネルギーを使う。保険会社のビルを建てるときも、冷房も、照明も、業務に使う紙もパソコンも、すべてエネルギーを消耗する。
最後に「トラックを運転する人が食べるご飯、タバコ、ジュース、楽しみで見るテレビ・・・」などがある。人がいなければトラックは動かないので、これも「ペットボトルを運搬するのに使われたエネルギー」である。
私(武田)は、今から10年前は「人の使うエネルギー」も入れていたが、最近では「できるだけ合意を得たい」ということからこれを除いている。その理由はリサイクルを計算する人の多くが「人の使うエネルギーは計算に入れない」としているので、そこを妥協しておいた方が計算値が合うと思うからだ。
それでも今回のシンポジウムに出された数値は、14倍も違った。なにが違うのだろうか?
私は、人の使うエネルギー以外を入れて3.5倍ということになったところを見ると、リサイクルをしている人はガソリンだけか、もしくはトラックの製造時のエネルギーだけを計算したのではないかと思う。
そうしないと石油から作る場合の4分の1などという数字は出てこない。私は、もしリサイクルが4分の1なら、税金が返ってくるか廃ペットボトルが売れると思うからだ。
私たち専門家の責任は重い。一度、「リサイクルが資源の節約になる」と言えば、日本で1億人の人が毎朝、分別にいそしむことになる。それはその人たちの人生の一部の時間を左右することにもなるのだから、もっと真剣に議論を重ねなければならないだろう。
(注1)たとえば、タイヤを製造する時のエネルギーとは、ゴムを溶かしたり練ったりする時に使う電気や石油だけではなく、ゴムそのものや練る機械を構成している鉄を鉄鉱石から作る時に使用する石油まで全部、計算する。従って、計算は一つでも膨大になる。
(注2)自治体は「ペットボトルを売っている」と言っているが、キログラム405円の税金を使って収集分別し、それを40円で業者に売っている。普通の商売ならとてもできないが、405円が税金だから出来る。本当は405円以下で売るのは市民に損をかぶせて業者の得になるだけである。