シンポジウムでフロアーから「本(環境問題はなぜウソがまかり通るのか)で和田先生の論文を引用されているが、あの論文はダイオキシンの毒性が低いことを言っているのではなく、焼却してはいけないことを書いている」というご指摘があった。

 

 これに対して私は「私は論文を読んで毒性が低いのでビックリした記憶があるが、あの論文はダイオキシン騒ぎの中で冷静に学問的な発表をしたという点で高く評価している」という意味の答えをした。

 

 私の著作に対する質問に対して、時として私は直接的に答えない時がある。それは「事実を調べないと、間違った答えをする可能性がある」時である。

 

 学者だから万が一にも間違ってはいけない。

 

私が本を書いてからすでに1年程度が経過している。書いたときには明確に覚えていても、時が経つと「よく調べて書いたのだが、もしかして間違っていたかも知れない」と思う。

 

 もともと、ご質問した方も「武田をやっつけよう」ということではなく、「事実はこうだ」ということをご指摘になっているのだから、まずは資料に当たるなどして調べてから解答するのが筋だ。

 

 このような私の態度が「武田は内容をよく知らないのではないか」「はぐらかしている」という疑問にもつながっているようなので、次回からは「書いてから少し時間が経っているので、資料を見直して解答します」と答えようと思う。

 

 ところで、家に帰って改めて和田先生のご論文に目を通してみた。全文を引用するのは適切でもないので、質問のあったところだけ部分的に示すことにする。またご論文の主要な部分であるデータについては原文を参照されたい。

 

 和田先生のご論文は、「ダイオキシンはヒトの猛毒で最強の発ガン物質か」と題されたもので、学士会会報のNo.830に掲載されている。

 

 論文の冒頭は次の文章で始まる。

 

 和田論文書き出し.jpg

 

 私は当時、セベソの疾病状態などを調べていたので、ダイオキシンが「猛毒で発ガン性の」というマスメディアの表現に疑問は持っていたが、それでもある程度、報道に影響されてダイオキシンは強い毒物と思っていた。

 

だから、この論文をむさぼるように読んだことを記憶している。

 

 そしてご論文の最後には、ダイオキシンの毒性について次のように結論されている。

 

 終わり小.jpg

 

 つまり、サリン事件のように「故意にダイオキシンをまく」という犯罪的状況を想定しなければ、「一般の人々にダイオキシンによる健康障害が発生する可能性は、ほとんどないと考えられる。」とされている。

 

 当時の私にとっては驚くべき結論だった。

 

ダイオキシン特別措置法が施行されたのは1999年であり、このご論文が出されたのが2000年の1月だから、先生がご執筆になった時期はダイオキシンの法律は制定間もなくであり、焼却炉などはそれほど改善されていない頃のことである。

 

 「犯罪的状況」では普通の化合物でも多くの人を殺傷することができる。たとえば日本で100万トン以上も使われる苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を公衆の場所でまいたり食物に混ぜれば、大勢の人が亡くなり、あるいは失明する。

 

そんな化合物は1000はくだらない。

 

 だから「一般の人々にダイオキシンによる健康障害が発生する可能性は、ほとんどないと考えられる。」という和田先生の結論は重い。私は認識を改め、また論文の著者に敬意を示したいと思ったのである。

 

 この後、先生はある場所で「ダイオキシン騒ぎは科学の力の弱さにある」と言う意味のことをおっしゃった。これも私の執筆動機になっている。

 

 おそらくご指摘をされたフロアーの方は、「まだ毒性は研究途上だから、引き続き焼却炉などの発生源の監視をして、科学が実証していない溝を埋めることで、人々の安全を守ることができる」と書いておられるところをお話になったのだろう。

 

 このところの解釈は二つあると思う。私は「科学が不十分なところは、発生源の改善や監視によってカバーするのが良い」と読んだ。この記述で、ダイオキシンが健康障害を生む可能性が低いという結論が変わるものではないと思う。

 

 でも、論文の読み方は人によって違う。だから、私はこの論文から「ダイオキシンの毒性は普通の化学物質と基本的には変わらないのだな」と解釈し、ご指摘になった人は「焼却炉に気をつけなければならないのだな」と考えても、特に問題は無いと思う。

 

 民主主義というのは人によって物事の解釈や意見が違うことを認めることだ。このような場合「間違っている」と言うより「私はこういう解釈をした」と言う方が前向きと私は思う。

 

 また、この論文の末尾には次のようにある。私が感激し、科学者として反省し、そして行動に出ようと決心させた部分だ。

 

 「何よりも重要であるのは、正しい知識のもとに、人々が現状を理解し、不安と恐怖を解消することである。」

 

 この文章は冒頭と対応していて、「人々を不安と恐怖に陥れている」ことに対して、まず「普通の生活をしていれば、ダイオキシンで健康被害を受ける可能性はほとんど無い」という事実を指摘し、さらに、「科学が正しい知識を提供し、人々がそれを理解するような状況が大切」とされている。

 

 「ダイオキシンで健康障害が出る可能性はほとんど無い」という和田先生の結論はその後、活かされているのだろうか?