相撲は美しい。鍛え上げた肉体、見事に作るあげられた土俵、そして吊り天井から赤房、白房まで日本文化を見事に完成した一つの形である。

 

 そこには日本人の魂、勝負の哀しさがにじんでいる。決して感情を顔に出してはいけない。負けてどんなに悔しくても土俵を叩いてはいけない。そっと頭を下げ自分が至らなかったこと、捲土重来を期して土俵を去る。

 

 69連勝をした双葉山は、鍛錬し、身を清め、滝に打たれ、そして相撲という武芸を完成させた。

 

 日本以外の国の勝つ闘技は勝つことに目的があり、日本の武道は負けてもくじけない精神力をつける、自分をやっつけた相手を尊敬する心を養うためにある。目的が正反対だ。

 

 そこに外国の力士を入れた。そのこと自体はそれほどの問題ではないかも知れないが、世界的に特異な日本文化と武道の精神を入門してから親方は継続的に外国人の弟子に教えなければならない。

 

 勝つことが目的ではない、負ける胆力をつけることだと。

 

 おそらくはそれを怠って朝青龍を生んだ。そしてその次にはNHKがこの美しい国技を暴力事件で破滅させてしまった。

 

 報道は事実を報道しなければならない。それがどんなにNHKに都合が悪い場合でも、報道する記者は事実をありのまま伝える胆力が求められ、外部からの圧力は重役が持ちこたえる。

 

 たとえ事実を報道することによってお役所に怒られることがあっても、それはNHKが持つ「報道という武器」が守ってくれる。その確信を持つことが報道陣である。

 

 でもNHKは好んでそれをしなかった。

 

相撲という勝負は放送したが、相撲の魂が汚れているという事実は報道しなかった。各部屋の稽古には記者が取材に行っていたので、そこで行われていた不都合なことをよく知っていた。暴力も知っていたし、あるいは八百長の噂も聞いただろう。

 

 そんな時NHKは報道機関なのだから、そのままを報道しなければならない。どんなにそれが視聴率に影響しようと、相撲協会との信頼関係を傷つけようと、報道機関が守るべき専門性はNHKが忠誠を誓う不特定多数・・・視聴者・・・だからである。

 

 そして組織も人も、共に「事実」によってその歪みを修正し、更に成長する。50点しかとれない学生に「優」をあげることは決してその学生をよくすることにはならない。

 

 NHKはあるいは、50点の相撲協会に、いつも90点をあげてきた。「よい子のNHK」だからだ。でも、その結果がリンチまがいの事件を起こしたのだろう。

 

 NHKのような「事実を曲げて自分を良いように伝えてくれる」という人や団体は自分にとって居心地が良い。でも、そんなところとはつきあってはいけない。長くつきあうと必ず自分の破滅につながるからだ。

 

 私の恩師の一人で若くして東大教授を自分から退官された世界的に有名な先生がおられる。卒業してかなり経ってお会いした時、先生は私にこう言われた。

 

「武田君、東大教授を長くやったら人格が壊れる。何をやってもほめられるのだから。人間はそれほど強くはない。毎日、ほめられ、悪いことを咎めてくれなければダメになる。」

 先生は大学教授になった私をそっと戒めてくれたのだろう。 

 

 だから「つきあう人を滅ぼすNHK」であり、その犠牲者が相撲協会なのだ。そしてNHK自体も自分を批判してくれる人を大切にした方が良い。その人が本当の君の味方なのだ。

 

 おわり