地球温暖化対策と言うと「二酸化炭素を削減する」と決まっていて、現在の日本ではそれ以外のことは思い浮かばないほどだ。例えばクーラーの温度を上げるとか、自動車に乗らないということを思い浮かべる。

 

でも、1990年代の地球温暖化の国際会議で、「二酸化炭素を減らす努力より、海水面が上がるなら堤防を作る方が先だ」という外国の人の演説を知って、新鮮な感じがしたことを思い出す。

 

このまま地球温暖化が進めば夏の気温は45℃、50℃と上がるかも知れない。体の弱い老人や子供に被害がでるだろう。もちろん、根本的には人間の活動を下げてもっと自然の中で生活するようにしなければならないが、それは不可能なことだ。

 

つまり、世界で最も多く二酸化炭素を出しているアメリカやヨーロッパは二酸化炭素の削減に熱意がない。そして、これから二酸化炭素を多く出そうとしている中国、インド、ロシア、ブラジルなどの中進国、そしてそれ以外の開発途上国も、「自分たちも先進国と同じような生活をしたい」と言っている。

 

日本はといえば二酸化炭素の排出量は世界全体の3.7%である。だから、いくら日本人が生活を切り詰めても地球温暖化には影響を及ぼすことは不可能である。

 

こう言うと「武田は地球温暖化はどうでもいいのか」と批判されるが、人間の活動で地球の気温が左右されるのは良いことでないことは明らかである。しかし、自分で出来ないことをあたかもできるように言うのはさらに危険である。

 

「地球温暖化対策」とはまずは身を守ることだ。

 

つまり、今後さらに地球温暖化が進み、夏の気温が上がるなら、政府は「各家庭にはできるだけクーラーを備える」政策を進めるべきだ。

 

そして夏の暑い日、例えば気温が45℃になると予想される日は、その日を国民の休日にして仕事を休業にして工場を止め、工場の電気を各家庭で使えるようにしなければならないし、クーラーのない家庭の人を公共施設に避難させなければならないだろう。

 

それが環境省が進めなければならない第一の政策だ。

 

つまり「地球温暖化対策」ならクーラーを買うべきだし、二酸化炭素量を減らそうと思えばクーラーは買ってはいけない。正反対である。

 

最近では、地球温暖化で、北極・南極の氷が溶けて海水面が上がるという非科学的なことを言う人は少なくなったし、また海水面は30年で11センチしか上がらないので日本列島が水浸しになるということも言われなくなった。

 

その代わりに「異常気象が起こる」、「動植物が絶滅する」という話に切り替わった。

 

それなら、まずは日本で起こる異常気象というのはどういうものか、それを予想して対策を取っておくということだろう。つまり台風が来るから「台風の原因を根絶しよう」というのではなくて、まずは「台風が来ても大丈夫なよう街づくり」が先決である。

 

 二酸化炭素を減らすのは日本がどんなに頑張っても出来ないのだから、不可能なことはムダである。

来年のサミットに向けて、地球温暖化が社会的な話題になるなかで、専門家やマスメディアがヒステリックにならないことを願いたい。

 

ところで「地球温暖化で個人でなにができますか?」というのが一つの流行になっている。

 

でも、日本人が二酸化炭素削減しても全く意味がない。暑い夏に備えてクーラーを買っておくこと、それに食糧自給率をあげることだろう。自分の庭に少しでも農地を確保するのも一つの方法である。

 

でも、日本は民主主義だから個人ができるのは「選挙の投票」である。日本の食糧自給率を増大させ、温暖化時代にも我々が住みやすい環境を作ることを政策に掲げている政党に一票を投じればよい。

 

個人として何ができるかとは、「投票権の行使」であるというのが民主主義ではないだろうか

 

おわり